2015年11月27日金曜日

小豆島の新物オリーブ

私が住む東京・昭島の近所の友人に、小豆島出身の人がいる。彼女は、年に一度、帰省するのだが、そのタイミングがまちまちだ。私が彼女の帰省のタイミングに気を揉むには訳がある。

今年は、ちょうど一ヶ月ほど前の10月中旬から下旬だった。この時期がいい。冒頭の写真は、小豆島のオリーブの実の塩水漬けだ。こいつが小豆島で売っているのは、毎年、ほんのこの一ヶ月ぐらいの間らしいのだ。(要冷蔵で、賞味期限は一ヶ月だけ)

数年前、同じものを初めてお土産にもらったのだけど、いたくおいしくて、それを伝えたら、「だからって、そのために帰省のタイミングは決められなよ」とのお言葉。もっともなことだ。それで数年待った今年、タイミングがピッタリと合い、めでたくも我が家の食卓に上った。数年ぶりの再会ながら、

あー、やっぱりおいしい。

地中海地方のオリーブの実の漬物と違い、この小豆島のオリーブの塩水漬けは、アッサリ味。私は、ほんわかしたこの旨みがとっても好きなのだ。それがデリケートにひいた昆布出汁のようにも感じられ、何とも日本っぽく感じるから不思議だ。それに使っている原材料が塩(と水)のみ。そのまま食べておいしい塩分にすると、この「賞味期限一ヶ月」ということになり、この時季ならではということになるんだろう。

地中海地方のオリーブの実の瓶詰めはよく売ってるが、それらは旨みがとても強くオイリーな味だ。オリーブの品種も違うのだろうけど、原材料(調味料)が塩だけというのはあまりない。たぶん、産地へ行けば、塩だけのものもあるのかも知れない。それで思い出したのが、5年前の11月(オリーブの収穫時期)に、イタリアはプーリアへ行ったときのこと(下記エントリ参照)。木から落ちた生のオリーブの実をそのまま食べたことがある。舌がしびれるようでまずかった。オリーブオイルは、簡単に言えば、この実を絞ったジュースの上澄みの油を集めたもの。きっと食べるための実の場合は、梅の実のように一旦塩漬けにするのだろう。この小豆島のオリーブは、どうしているんだろう。もしかすると、その加工の工程にこの実のおいしさの秘密があるかも知れない。

●プーリア州のオリーブ収穫 (2010年11月18日)

まー何しろ、今年は小豆島のオリーブの実の塩水漬けが食べられた、実にめでたい(愛でたいとも言える)年であった。あー、来年もこの時期に帰省してねー。

2015年11月20日金曜日

蕎麦の一期一会

先のエントリで、月島のもんじゃのことを書いたが、もんじゃを食べた日の夕方、立川・無庵へ知り合いと訪れた。狙いはズバリ在来の新蕎麦だ。4〜5日前に予約の電話を入れたが、コース料理は定員オーバーということで、アラカルトのみの注文となった。それにしてもおいしい蕎麦だった。あんまりおいしかったので、書きたくなった。同席した連れが、出てきた料理を逐一スマホで撮影してたので、私もつられて写真を撮った。料理も写真付きで順番に紹介します。ホワイトバランスが狂った写真がいくつかあるけど、ご勘弁のほどを。

1.やきみそ
淡い味のぬかごが、食感とともにアクセント。柚子のきき方がとても穏やかで差ほど塩辛くない上品なお味と風味。
2.だし巻玉子
ミルフィーユのような玉子の層、出しのきき方に抑えがきいてて玉子自体もおいしく感じる。付け合わせの野沢菜のおひたしは、丈が半分ぐらいに育ったところを収穫した野沢菜のものだ。この11月ならでは。育ちきったものより、葉の味が淡く、独特のシャキシャキ感がいい。
3.三種のおひたし
この店のご主人(狭山湖の方らしい)がご自分の畑で育てたという無農薬の葉物たちのおひたし。(←先の野沢菜もそうだった) 左からイタリアンパセリ、広島菜、白たい菜(と店の女の子が言ってたが、しゃくし菜のよう)。パセリのおひたしは、以前このブログでも書いたことがあるが、こうして3種が並んでいると、イタリアンパセリの個性が際立つ。ただしどれも淡い味付けが嬉しい。こういうシンプルな味付けにこそお店の色が出ると思う。
4.里芋の田舎煮
箸休め的に頼んだ。よくこの上に柚子がのってるのがあるが、見てのとおり、これは至ってシンプルなのが潔い。やはりご主人が育てた里芋らしい。やや甘い味付けながら、お袋の味的な心地よさがある。しっかり染み込んだ味と煮崩れる直前さがいい。関西の人にこの感じが分かるだろうか。
5.三度豆と四角豆の天ぷら
三度豆とはインゲン豆。年に三回収穫出来るとか。四角豆は断面が四角の南方系のサヤ付き豆。帰宅後「四角豆なんての食べたよ」とカミさんに言ったら、「去年、ウチ(の食卓)でも出したの忘れたの?」なんて言われた。おー恐わ。
6.合鴨のロースト
野趣あふれるというよりは、柔らか〜くてクセの少ない鴨。添え物の果物は、生の柿と薄くスライスされた半乾燥のラ・フランス。蕎麦のかえしとともに。クルミがのってる様は、最初のやきみそのときのムカゴのよう。柔らかな鴨の食感にメリハリがついている。鴨にフルーツは定番だが、柿とラ・フランスは初めて。柑橘類のような刺激がないので、やさしく上品なコントラストだ。
7.白貝のかき揚げ
正直言って、こんへんになると酔ってきていて詳しくは忘れてしまった。


8.せいろ(小)
ん、うまい。この蕎麦で酔いが醒めた。
9.碾きぐるみ
せいろで酔いが醒めた私は、この「碾きぐるみ」で、心を奪われた。蕎麦が出てくると、いつも一箸目はつゆにつけずにそのまま食すのだが、その瞬間、世界が変わった。口の中から鼻へと伝わる感動するほどの豊かな香りと舌の奥へ広がるほのかな蕎麦の甘味。その感覚は翌日まで口の中に残っていて、思い出す度に唾液が出た。これぞ在来種。それも新蕎麦なんだ。いや、これはそれ以上のような気さえした。

蕎麦は、無論、打つ人にとって難しさはあろうが、食べる側にも難しさがある。ある蕎麦屋で、「あっ、この蕎麦うまいなー」と思って再訪しても、同じ蕎麦は食えない。この日のほんの2日前も、他店でそうだったので、あまり期待してはいけないと自分に言い聞かせていたところだった。在来種の蕎麦でもいろいろあるし、玄蕎麦の出来や鮮度にもよるだろうしと、自然に由来したいろいろな要素があるからだと思う。その点、幸い自宅にも近いこの無庵は、だいたいいつ行っても、うまい蕎麦を出してくれる。平均点が高いのだ。特に、この日の「碾きぐるみ」は、「こんなのもう食えないんではなかろうか」と思えるほどうまかった。常に変化する蕎麦だけに、とっても幸せな気分に浸れるのだ。一期一会とはこういうことなのだ。

2015年11月18日水曜日

久しぶりの、もんじゃ

先週、久しぶりに月島でもんじゃを食べた。月島のもんじゃは、20年ぶりぐらいだろうか。もんじゃを語らせたらうるさい妹と行った。彼女と二人きりで外食なんて今までなかったかも知れない(もんじゃを含めて)。特に確かめたことはないが、私たち兄妹は、普段はお互い「元気でいてくれれば、それでいい」という感覚で、あえて二人で外食なんて考えもしなかったのだが、今回は、図らずも、親父の病気のことで、この機会になった。

さて、行った店は、「いろは本店」。本店ということは、系列の店が他にもあるということだが、昔、「いろは」は、現在「月島もんじゃストリート」と呼ばれる商店街から車も入れないような露地を入った右側にひっそりと佇んでいた。妹のように頻繁に通ったわけではないが、木造2階建てぐらいの建物だったように記憶している。今は、メインストリート沿いのビルの2階で、「本店」だ。とは言え、オーソドックスなもんじゃを食べたいときはここがいいという、妹の談。

路地裏にあったときは、いかにももんじゃ屋のおばさんといった感じの人がお店を切り盛りしていたが、今の「本店」では若い男性2人と女性1人がやっていた。妹の注文は、「生イカもんじゃ。トッピングにソバ(焼きそばの生麺)とベビースターラーメンとチーズ」。私は、久しぶりのもんじゃをもう少しシンプルに食べたかったので、妹の注文から生イカとチーズを省いたもの。

私たちは、その二つを一緒にでっかく焼いて、「生イカ・チーズ」がある部分と無い部分を作ろうと思っていた。が、お店の若い男性店員は、気を使ったのか、注文した二つのもんじゃを時間差で持ってきた。最初の一つを無造作に鉄板に広げた私たちは、それがどっちだったか分からなくなってしまった。そこで、妹は「この最初のはどっち?」ときいた。そしたら、「あっ、焼き方だったら、テーブルの隅に説明書きがありますので」と、彼は勘違いして、妹が焼き方をきいていると思った。その質問は定番なのだろう。そこで妹は、きき直して、結果的にどっちだか分かったのだが、その店員が去った後、「あたしゃアイツが生まれる前からもんじゃ食べてるのに、私に焼き方を教えようとは、10年早いぜ」と私に呟いた。彼女は、そんなに喧嘩っ早い方ではないが、「下町の女だな」と感じた私は、妙に嬉しかった。

私にも、似たような経験がある。今は、すっかりチェーン店になっている、洋服屋のBeamsやSHIPSは、私は18歳頃から(つまりは35〜36年前)から通っていた。当時、Beamsは原宿の明治通り沿いに1〜2軒、SHIPSも銀座の裏通りと、渋谷の元ミドリヤのビルの裏の計2軒だけ。背伸びしたかった二十歳頃の私は、しばしば無理して5万円もするイギリス製のパーカーなど買ったものだ(今でもそれはクロゼットの中にある)。最近、そんな店でズボンを広げて見てたりしてるとき、若い店員さんに、「このパンツ(ズボン)は、お客様がお召しのようなソックス(靴下)ではなく、こういった(自分のズボンの裾をめくりながら)丈の短い(いわゆるスニーカー)ソックスを合わせてみてください」なんて言われると、「オレは、そーいう短い靴下が嫌いなんだよ。別に、(このズボンに)丈の長い靴下はいたっていいじゃねぇーか。オレは、お前さんが生まれる前から、(初期の)この店に通ってんだよ。お前さんにガタガタ言われる筋合いはねぇ。好きにやらせろ」と言いたくなる。繰り返す。「言いたくなる」のであって、言う訳ではない。アドバイスを怠らない親切な店員だ。

私たちが子供の頃(45年ぐらい前)、月島は知らないが、当時の私が知る限り、もんじゃ屋さん(専門店)というものはなかった。そして、もんじゃは子供だけの食べ物だった。私が育った江東区には(月島は中央区)、各小学校の圏内に駄菓子屋さんが2軒ほどずつあり、その駄菓子屋さんの3〜4軒に1軒ぐらいに、もんじゃを食べられる駄菓子屋さんがあった。その駄菓子屋さんの片隅にはお好み焼きの鉄板がある小さめのテーブルが大概一つだけあって、店の人にもんじゃを注文すると、小学校ではうがい用に使われていたブルーやピンクのアルマイトの取っ手付きのコップに入った具材(少量の刻んだキャベツ入り)が出てきて、それを熱い鉄板に広げた。一つ30円ぐらいだったか。大盛にすると、白いドンブリに入ってきて、50円だったような‥‥。当時の小遣いは、一日10〜20円ぐらいだったから、ちょっと貯めれば食べられた。そして、駄菓子屋さんだから、ベビースターラーメンや、よっちゃんイカなんかが近くにあって、多めのカネを持ってる子供は、オプションでそれらを加えた。もんじゃを食べ終わった後、テーブルの上のソースを鉄板に垂らして「ソースせんべい」とか言ってると、お店のおばさんに怒られたな。

実は、私たちが通った小学校の圏内にはもんじゃのテーブルがある駄菓子屋さんがなかったので、自転車でやや遠出して食べに行った。言わばよそ者だったので、たった一つのテーブルが、(特に上級生に)占領されていると、その日は諦めて、遠路を帰った苦い思い出もあるが、今の子供からしたら、羨ましいだろうなとも思う。

さて、45年の時は過ぎ、ここは月島。二つのもんじゃが時間差で出された都合上、鉄板上でも二つに分かれてしまったのだが、それらをつつきながら、妹に焼き具合の好みをきいてみた。思いの外、結構しっかり焼くのが好みだった。私は、もう少しレアな方が好きなので、それを言うと、「このソバ(焼きそばの生麺)にしっかり火が通らないとマズイでしょ。(ドロドロの)もんじゃの生地を通って、ソバに火が通るのには少し時間がかかるから、少ししっかり目に焼いた方が、私は好きなんだよね」と、もんじゃ用のコテで焼き具合を確かめながら主張した。

特に旨いもんじゃない。そして一人で食べるもんじゃない。もんじゃ用の小さなコテでアツアツのもんじゃをハフハフせっかちに食べながら、おしゃべりしてると、ゆったりコーヒーを飲みながらする話しとは別モードの楽しさがある。私にとって、今やもんじゃは、小さかった子供が大きくなって食べる大人の食いもんのように思えた。