2015年12月28日月曜日

日本モノにあふれる台北

2週間前、「カノウユミコさんと行く台北素食の旅」という2泊3日のツアーに参加した。「素食」がテーマだ。中国語の発音では「スーシー」に近いが、ベジタリアン料理である。

たまたま今、開高健の「最後の晩餐」という本を読んでいるが、その中で、多くの一流と言われる中華の料理人(主に中国本土だろう)は、「素食」料理にも長けているといった内容のことが書かれている。「素食」の中華料理は日本では珍しいが、ガイドさんの話によると、台湾ではおよそ1割の人が「素食」を食すベジタリアンとのこと。そのせいで、台湾には「素食」のレストランが町のあちこちに珍しくなくある。

冒頭の写真は、このツアーで入った素食レストランの入口。「蓮香齋」、日本語読みすると「レンコウサイ」となる。ビュッフェスタイルの素食料理だったのだが、何しろスゴイ規模。数百人の客がひしめいていた。そしてその料理の種類の多さも圧巻だった。

まー何から何まである感じ。肉モドキ、エビもどきなど、モドキものも多いのだが、モドキものではなく、普通の野菜料理もたくさんある。いや、普通の野菜料理の方がたくさんある。ビュッフェスタイルなので、下の写真は、私が取りにいった最初の皿。
そしてこれは、フカヒレもどきだねー。
でまぁ、一番ビックリしたのは、下の写真。
(日本の)お刺身モドキなのである。何もお刺身モドキだからビックリしたのではなく、その完成度に驚いた。マグロモドキには、赤身と中トロがあり、サーモンにはスジが入っていて、マグロモドキよりも、ややざらついた食感になっている。そして、奥にあるイカモドキは、モンゴイカの食感。ちょっとナタデココの食感にも似ている。海苔巻きまであるし。これらを中国醤油ではなく、日本風の醤油で食べるのです。

台湾へ行ったことのある日本人は多いと思うので、多くの人が知ってることなんだろうが、町には日本モノがいっぱい。写真を撮る気にはならなかったが、もーいろーんな日本のファミレス系のレストランはいっぱいあるし、台北中心部には、50メートル毎ぐらいにあるセブンイレブンには、日本のお菓子メーカーのものが並び、おにぎりもあるし、おでんまであって、開いた口がふさがらなかった。このツアーに参加した、私の11歳の娘は「外国にいる気がしない」と言っていたが、ホントだ。

泊まったホテル周辺の路地裏には、「和風伽哩」の看板。先述したとても多くの日本モノとは、主に大資本系のものだが、路地裏にこんな小さなカレー屋さんもあるのだ。日本のカレー、分かりやすく言えば、ハウスバーモントカレーのような、日本独特のルーを使ったカレーが海外でも人気が出てきているとは聞いたことがあるが、こんな規模でも町にしみ入っていることに驚いた。1台湾元は、約4円。

素食料理のツアーながら、一番の印象は、「台北の町には、日本モノがいっぱいあふれている」ということ。素食のお刺身や海苔巻きは、それを反映してのことなのだ。とは言え、無論、そればかりではないので、次のエントリでは少し気を取り直して、台湾らしいと感じたことを書こうと思う。

2015年11月27日金曜日

小豆島の新物オリーブ

私が住む東京・昭島の近所の友人に、小豆島出身の人がいる。彼女は、年に一度、帰省するのだが、そのタイミングがまちまちだ。私が彼女の帰省のタイミングに気を揉むには訳がある。

今年は、ちょうど一ヶ月ほど前の10月中旬から下旬だった。この時期がいい。冒頭の写真は、小豆島のオリーブの実の塩水漬けだ。こいつが小豆島で売っているのは、毎年、ほんのこの一ヶ月ぐらいの間らしいのだ。(要冷蔵で、賞味期限は一ヶ月だけ)

数年前、同じものを初めてお土産にもらったのだけど、いたくおいしくて、それを伝えたら、「だからって、そのために帰省のタイミングは決められなよ」とのお言葉。もっともなことだ。それで数年待った今年、タイミングがピッタリと合い、めでたくも我が家の食卓に上った。数年ぶりの再会ながら、

あー、やっぱりおいしい。

地中海地方のオリーブの実の漬物と違い、この小豆島のオリーブの塩水漬けは、アッサリ味。私は、ほんわかしたこの旨みがとっても好きなのだ。それがデリケートにひいた昆布出汁のようにも感じられ、何とも日本っぽく感じるから不思議だ。それに使っている原材料が塩(と水)のみ。そのまま食べておいしい塩分にすると、この「賞味期限一ヶ月」ということになり、この時季ならではということになるんだろう。

地中海地方のオリーブの実の瓶詰めはよく売ってるが、それらは旨みがとても強くオイリーな味だ。オリーブの品種も違うのだろうけど、原材料(調味料)が塩だけというのはあまりない。たぶん、産地へ行けば、塩だけのものもあるのかも知れない。それで思い出したのが、5年前の11月(オリーブの収穫時期)に、イタリアはプーリアへ行ったときのこと(下記エントリ参照)。木から落ちた生のオリーブの実をそのまま食べたことがある。舌がしびれるようでまずかった。オリーブオイルは、簡単に言えば、この実を絞ったジュースの上澄みの油を集めたもの。きっと食べるための実の場合は、梅の実のように一旦塩漬けにするのだろう。この小豆島のオリーブは、どうしているんだろう。もしかすると、その加工の工程にこの実のおいしさの秘密があるかも知れない。

●プーリア州のオリーブ収穫 (2010年11月18日)

まー何しろ、今年は小豆島のオリーブの実の塩水漬けが食べられた、実にめでたい(愛でたいとも言える)年であった。あー、来年もこの時期に帰省してねー。

2015年11月20日金曜日

蕎麦の一期一会

先のエントリで、月島のもんじゃのことを書いたが、もんじゃを食べた日の夕方、立川・無庵へ知り合いと訪れた。狙いはズバリ在来の新蕎麦だ。4〜5日前に予約の電話を入れたが、コース料理は定員オーバーということで、アラカルトのみの注文となった。それにしてもおいしい蕎麦だった。あんまりおいしかったので、書きたくなった。同席した連れが、出てきた料理を逐一スマホで撮影してたので、私もつられて写真を撮った。料理も写真付きで順番に紹介します。ホワイトバランスが狂った写真がいくつかあるけど、ご勘弁のほどを。

1.やきみそ
淡い味のぬかごが、食感とともにアクセント。柚子のきき方がとても穏やかで差ほど塩辛くない上品なお味と風味。
2.だし巻玉子
ミルフィーユのような玉子の層、出しのきき方に抑えがきいてて玉子自体もおいしく感じる。付け合わせの野沢菜のおひたしは、丈が半分ぐらいに育ったところを収穫した野沢菜のものだ。この11月ならでは。育ちきったものより、葉の味が淡く、独特のシャキシャキ感がいい。
3.三種のおひたし
この店のご主人(狭山湖の方らしい)がご自分の畑で育てたという無農薬の葉物たちのおひたし。(←先の野沢菜もそうだった) 左からイタリアンパセリ、広島菜、白たい菜(と店の女の子が言ってたが、しゃくし菜のよう)。パセリのおひたしは、以前このブログでも書いたことがあるが、こうして3種が並んでいると、イタリアンパセリの個性が際立つ。ただしどれも淡い味付けが嬉しい。こういうシンプルな味付けにこそお店の色が出ると思う。
4.里芋の田舎煮
箸休め的に頼んだ。よくこの上に柚子がのってるのがあるが、見てのとおり、これは至ってシンプルなのが潔い。やはりご主人が育てた里芋らしい。やや甘い味付けながら、お袋の味的な心地よさがある。しっかり染み込んだ味と煮崩れる直前さがいい。関西の人にこの感じが分かるだろうか。
5.三度豆と四角豆の天ぷら
三度豆とはインゲン豆。年に三回収穫出来るとか。四角豆は断面が四角の南方系のサヤ付き豆。帰宅後「四角豆なんての食べたよ」とカミさんに言ったら、「去年、ウチ(の食卓)でも出したの忘れたの?」なんて言われた。おー恐わ。
6.合鴨のロースト
野趣あふれるというよりは、柔らか〜くてクセの少ない鴨。添え物の果物は、生の柿と薄くスライスされた半乾燥のラ・フランス。蕎麦のかえしとともに。クルミがのってる様は、最初のやきみそのときのムカゴのよう。柔らかな鴨の食感にメリハリがついている。鴨にフルーツは定番だが、柿とラ・フランスは初めて。柑橘類のような刺激がないので、やさしく上品なコントラストだ。
7.白貝のかき揚げ
正直言って、こんへんになると酔ってきていて詳しくは忘れてしまった。


8.せいろ(小)
ん、うまい。この蕎麦で酔いが醒めた。
9.碾きぐるみ
せいろで酔いが醒めた私は、この「碾きぐるみ」で、心を奪われた。蕎麦が出てくると、いつも一箸目はつゆにつけずにそのまま食すのだが、その瞬間、世界が変わった。口の中から鼻へと伝わる感動するほどの豊かな香りと舌の奥へ広がるほのかな蕎麦の甘味。その感覚は翌日まで口の中に残っていて、思い出す度に唾液が出た。これぞ在来種。それも新蕎麦なんだ。いや、これはそれ以上のような気さえした。

蕎麦は、無論、打つ人にとって難しさはあろうが、食べる側にも難しさがある。ある蕎麦屋で、「あっ、この蕎麦うまいなー」と思って再訪しても、同じ蕎麦は食えない。この日のほんの2日前も、他店でそうだったので、あまり期待してはいけないと自分に言い聞かせていたところだった。在来種の蕎麦でもいろいろあるし、玄蕎麦の出来や鮮度にもよるだろうしと、自然に由来したいろいろな要素があるからだと思う。その点、幸い自宅にも近いこの無庵は、だいたいいつ行っても、うまい蕎麦を出してくれる。平均点が高いのだ。特に、この日の「碾きぐるみ」は、「こんなのもう食えないんではなかろうか」と思えるほどうまかった。常に変化する蕎麦だけに、とっても幸せな気分に浸れるのだ。一期一会とはこういうことなのだ。

2015年11月18日水曜日

久しぶりの、もんじゃ

先週、久しぶりに月島でもんじゃを食べた。月島のもんじゃは、20年ぶりぐらいだろうか。もんじゃを語らせたらうるさい妹と行った。彼女と二人きりで外食なんて今までなかったかも知れない(もんじゃを含めて)。特に確かめたことはないが、私たち兄妹は、普段はお互い「元気でいてくれれば、それでいい」という感覚で、あえて二人で外食なんて考えもしなかったのだが、今回は、図らずも、親父の病気のことで、この機会になった。

さて、行った店は、「いろは本店」。本店ということは、系列の店が他にもあるということだが、昔、「いろは」は、現在「月島もんじゃストリート」と呼ばれる商店街から車も入れないような露地を入った右側にひっそりと佇んでいた。妹のように頻繁に通ったわけではないが、木造2階建てぐらいの建物だったように記憶している。今は、メインストリート沿いのビルの2階で、「本店」だ。とは言え、オーソドックスなもんじゃを食べたいときはここがいいという、妹の談。

路地裏にあったときは、いかにももんじゃ屋のおばさんといった感じの人がお店を切り盛りしていたが、今の「本店」では若い男性2人と女性1人がやっていた。妹の注文は、「生イカもんじゃ。トッピングにソバ(焼きそばの生麺)とベビースターラーメンとチーズ」。私は、久しぶりのもんじゃをもう少しシンプルに食べたかったので、妹の注文から生イカとチーズを省いたもの。

私たちは、その二つを一緒にでっかく焼いて、「生イカ・チーズ」がある部分と無い部分を作ろうと思っていた。が、お店の若い男性店員は、気を使ったのか、注文した二つのもんじゃを時間差で持ってきた。最初の一つを無造作に鉄板に広げた私たちは、それがどっちだったか分からなくなってしまった。そこで、妹は「この最初のはどっち?」ときいた。そしたら、「あっ、焼き方だったら、テーブルの隅に説明書きがありますので」と、彼は勘違いして、妹が焼き方をきいていると思った。その質問は定番なのだろう。そこで妹は、きき直して、結果的にどっちだか分かったのだが、その店員が去った後、「あたしゃアイツが生まれる前からもんじゃ食べてるのに、私に焼き方を教えようとは、10年早いぜ」と私に呟いた。彼女は、そんなに喧嘩っ早い方ではないが、「下町の女だな」と感じた私は、妙に嬉しかった。

私にも、似たような経験がある。今は、すっかりチェーン店になっている、洋服屋のBeamsやSHIPSは、私は18歳頃から(つまりは35〜36年前)から通っていた。当時、Beamsは原宿の明治通り沿いに1〜2軒、SHIPSも銀座の裏通りと、渋谷の元ミドリヤのビルの裏の計2軒だけ。背伸びしたかった二十歳頃の私は、しばしば無理して5万円もするイギリス製のパーカーなど買ったものだ(今でもそれはクロゼットの中にある)。最近、そんな店でズボンを広げて見てたりしてるとき、若い店員さんに、「このパンツ(ズボン)は、お客様がお召しのようなソックス(靴下)ではなく、こういった(自分のズボンの裾をめくりながら)丈の短い(いわゆるスニーカー)ソックスを合わせてみてください」なんて言われると、「オレは、そーいう短い靴下が嫌いなんだよ。別に、(このズボンに)丈の長い靴下はいたっていいじゃねぇーか。オレは、お前さんが生まれる前から、(初期の)この店に通ってんだよ。お前さんにガタガタ言われる筋合いはねぇ。好きにやらせろ」と言いたくなる。繰り返す。「言いたくなる」のであって、言う訳ではない。アドバイスを怠らない親切な店員だ。

私たちが子供の頃(45年ぐらい前)、月島は知らないが、当時の私が知る限り、もんじゃ屋さん(専門店)というものはなかった。そして、もんじゃは子供だけの食べ物だった。私が育った江東区には(月島は中央区)、各小学校の圏内に駄菓子屋さんが2軒ほどずつあり、その駄菓子屋さんの3〜4軒に1軒ぐらいに、もんじゃを食べられる駄菓子屋さんがあった。その駄菓子屋さんの片隅にはお好み焼きの鉄板がある小さめのテーブルが大概一つだけあって、店の人にもんじゃを注文すると、小学校ではうがい用に使われていたブルーやピンクのアルマイトの取っ手付きのコップに入った具材(少量の刻んだキャベツ入り)が出てきて、それを熱い鉄板に広げた。一つ30円ぐらいだったか。大盛にすると、白いドンブリに入ってきて、50円だったような‥‥。当時の小遣いは、一日10〜20円ぐらいだったから、ちょっと貯めれば食べられた。そして、駄菓子屋さんだから、ベビースターラーメンや、よっちゃんイカなんかが近くにあって、多めのカネを持ってる子供は、オプションでそれらを加えた。もんじゃを食べ終わった後、テーブルの上のソースを鉄板に垂らして「ソースせんべい」とか言ってると、お店のおばさんに怒られたな。

実は、私たちが通った小学校の圏内にはもんじゃのテーブルがある駄菓子屋さんがなかったので、自転車でやや遠出して食べに行った。言わばよそ者だったので、たった一つのテーブルが、(特に上級生に)占領されていると、その日は諦めて、遠路を帰った苦い思い出もあるが、今の子供からしたら、羨ましいだろうなとも思う。

さて、45年の時は過ぎ、ここは月島。二つのもんじゃが時間差で出された都合上、鉄板上でも二つに分かれてしまったのだが、それらをつつきながら、妹に焼き具合の好みをきいてみた。思いの外、結構しっかり焼くのが好みだった。私は、もう少しレアな方が好きなので、それを言うと、「このソバ(焼きそばの生麺)にしっかり火が通らないとマズイでしょ。(ドロドロの)もんじゃの生地を通って、ソバに火が通るのには少し時間がかかるから、少ししっかり目に焼いた方が、私は好きなんだよね」と、もんじゃ用のコテで焼き具合を確かめながら主張した。

特に旨いもんじゃない。そして一人で食べるもんじゃない。もんじゃ用の小さなコテでアツアツのもんじゃをハフハフせっかちに食べながら、おしゃべりしてると、ゆったりコーヒーを飲みながらする話しとは別モードの楽しさがある。私にとって、今やもんじゃは、小さかった子供が大きくなって食べる大人の食いもんのように思えた。

2015年10月20日火曜日

「醤油手帖」


2ヶ月前、この「醤油手帖」を読んだ。その表紙の帯の右に小さく書かれているように、この本を知ったキッカケは、「タモリ倶楽部」だった。おそらく2年ぐらい前だったろうか、この著者である杉村啓さんが、当時自費出版していた「醤油手帖」を持って出演してて、面白く新しくも感じながら観た。そのウラ表紙には、洒落で醤油のシミが印刷されていたのを思い出す。そして2ヶ月前に、何の拍子か、私はその自費出版の「醤油手帖」のことをふと思い出し、ネットで探してみた。そうしたら、何と河出書房新社から、自費出版の小冊子3冊ぐらいをまとめたものがちゃんと出版されていて、思わず買ってしまったたのだった。

個人的な前置きはこのぐらいにして、この「醤油手帖」、決して醤油作りのことがディープに書かれている訳ではない。何が面白いかというと、完全に消費者(または醤油作りとしては素人である醤油ファン)の目線で書かれていることだ。

まず、醤油というのは、日本のどの家庭にもある身近な調味料ながら、地域によってかなりの違いがある。だから、自分では当たり前と思っていることが、他の地域では特別だったりすることが少なくない。著者は、それらを押し並べて書くことで、それらの違いと特徴を、自分がセレクトした商品説明とともに書いている。

著書から引用すると、JAS協会が定めた醤油は5種類。「濃口醤油」、「淡口(薄口)醤油」、「たまり醤油」、「さいしこみ(再仕込み)醤油」「白醤油」。例えば私は、東京生まれの東京育ちなので、どっぷり濃口醤油文化圏だが、無論、西日本の家庭には、淡口醤油がある。20代半ばに関西に2年ほどいたことがあるが、私が淡口醤油を使ったのはそのときが初めてだった。当時私の周りの人(関西人)にそれを話すと、「どの料理もみんな真っ黒になってまうやろ(私の変な関西弁)」と驚かれた。また「さいしこみ醤油」を知ったのは、うちのカミさんが中国地方出身だったことがキッカケ。これも著書からの引用だが、「さいしこみ醤油」は、防州(山口県東南部)の柳井が発祥とされていて、中国地方西部から九州北部にかけて普及しているという。なるほど。九州のあの甘く味付けされた醤油はこの「さいしこみ醤油」から派生したものなのかと想像したりする。「たまり醤油」の煎餅を初めて食べたのはいつの頃だったか。「白醤油」はちょっといい料理屋さんへ行ったときが初体験か。鰻の白焼きにも使われていたのがあった気がする。醤油は日本の代表的かつ最もポピュラーな調味料なのだが、私の場合、いざ振り返ってみると、それらを経験するのには案外と時間がかかっているのだ。これを裏返して考えると、知らず知らずのうちに、「自分は醤油のことは知っている」と思い込んでいたことに気がつく。

ところで私は、東京生まれの東京育ちながら、母は秋田出身なので、「しょっつる」は子供の頃から知っていた。ご存じ、ハタハタの魚醤だが、この河出書房新社の「醤油手帖」には、「魚醤編」という章もあり、さらに興味が湧いた。その章を見ていたら、鮎の魚醤が載っていて、「これ使って見たいなー」と思っていたら、2〜3週間前、偶然にも見つけ、思わず買ってしまった。その話しはまた次回エントリに。

私は塩作りを生業としているが、塩と並んで醤油も極身近な調味料ながら、広く知っているかと言えば、実はよく分からないこともあったりする。それが醤油であり、塩であり‥‥。私にはそんな親近感も醤油に対してあると思う。

醤油の作り手の醤油に対する愛情は、きっと自分の子に対する愛情と似ていると思う。しかし、子供というのは、親からの愛情だけで育つ訳ではない。その子の友だち、学校の先生、地域の人たち、職場の人たちなど、いろんな人の愛情を受けて育つものだ。この「醤油手帖」の著者・杉村さんの醤油に対する愛情は、常に醤油の作り手への敬意が感じられ、第三者の一歩下がった立場での愛情のように感じる。きっと醤油の作り手からしたら、物足りなくもあろう。しかし、読む側からすると、このぐらいがちょうどいいという感じもあり、その視点を新しく感じる。

醤油っていろいろあるけど、何が違うの? と素朴に思っている方。またその答えを大ざっぱにでも知りたいと思っている方、そして食いしん坊の方には、熱い親の愛情だけでなく、こんな控えめな愛情がこもった本も楽しいものです。

2015年10月8日木曜日

「安い」と「簡単」の不安

昨日の夕方4時頃、探していた透明な防水テープをamazonで見つけた。税込みで264円でありながら、送料は無料。「本当かな?」と疑いつつも購入しようと画面を進めると、「(30日間の)Amazonプライム無料体験しませんか?」と誘われ、これも「無料ならいいか」と申込み、264円の防水テープを購入すると、「翌日到着」とメールが入った。送料無料だけでも半信半疑だったが、いくらプライムっつったって、それが十数時間後に届くことにもにわかに信じられなかった。

すると、本当に今朝9時半頃に、届いた。

何と便利な世の中になったものだ。驚きというより、狐につままれたようで、まだ実感が湧かない。264円の防水テープを、昨夕ネット上で購入し、今朝届く。それも送料無料でだ。私は自分の判断で購入し、この便利さの恩恵を確かに受けている当人なのだが、どうもスッキリしない気持ちがある。

おそらくamazonは、全体で利益を上げているから、こうした細かなことを問題にしていないのだろう。そして264円という小さな購買もいずれはある程度以上の大きな購買に繋がる可能性があるという考えもあるんだろうなぁ、ということぐらいは思うのだが、どうも何かが引っかかる。

サステイナブル(持続可能な)という言葉があるが、これはサステイナブルなのだろうか。と、ふと考えてみる。これでamazonが収益を上げ、夜間のピッキングや発送作業もシフト制勤務の従業員によって行われ、環境に特別大きな負荷をかけることもなければ、サステイナブルのような気もする。防水テープが、壊れもの用のような手厚い梱包なことはやや環境負荷がある気はするが‥‥。

そんなことを思い巡らせていて、思いついたのは、30年から35年ぐらい前だったろうか。それまで高価で年に一度食えるかなあという存在だった鰻の蒲焼きが、スーパーで(主に中国産だったと思うが)一匹分が500円で売られ始めたときのことだ。当時、二十歳頃の私は、「えー、どおなってんの? 500円かよー」と最初は「?」な気持ちとともに驚いて買うものの、しばらくするとそれは「?」にも驚きにも値しなくなっていった。そしてその影響で、稚魚がいないという今の鰻事情になっていることは言うまでもない。鰻屋さんの鰻重も値上がりしたし、残念ながら質(おいしさ)が低下した店もある。

amazonのシステムの詳しいことは分からない。でも、しっかりとした段ボール箱を開けると、真ん中に、ちょこんとポリシートで梱包されているこの防水テープを見ると、何となく、「大丈夫なのかな?」と、漠然と不安になってしまう。「安いから」、「簡単だから」という理由は、とても分かりやすい。「安くて簡単なら、それでいいじゃない」と、言われそうだが、それをそう思えないのは、歳とった者のただのボヤキなのかなぁ。

2015年9月25日金曜日

セルフ、セルフ、セルフの次の未来図

写真は、一週間ほど前の羽田空港(国内線)。何と、手荷物を預けるための、セルフの機械があってビックリ。その内部を照らす青白い照明が何となく近未来的な感じがした。近未来的というと、映画「ブレードランナー」を思い起こすが、思えばその映画を観たのはもう30年ぐらい前のことだ。

少し離れたところには従来の手荷物を預けるカウンターがあった。こういうとき私は、大概、保守的に、従来の方を選ぶのだが、そのときはこっちが空いていたので、ちょっと思い切って使ってみた。とは言え、不安は拭えず、たまたま隣の機械を調整していたANAの人に、「いや〜、これ初めてなんですが、大丈夫ですかねー」と声を掛けた。「どうぞ、画面のとおりにやればいいだけですから、是非お試しくださーい」。その言葉に後押しされてやってみると。彼の言うとおり、思いの外、簡単に出来た。

ガソリンスタンドがセルフになって久しい。2〜3年前からは、ホームセンターで、セルフのレジが登場している。この調子だと、そのうちコンビニのレジもセルフになりそうな気がする。すっかり規格化しているようにも見えるコンビニでも、レジを打ってる人は、だいたいシフト制で働いているから、挨拶までしなくとも、知った顔になり、何となくの安心感も感じるものだ。その安心感も、セルフになると贅沢ということになる。

家電の量販店で、売れ筋1位の商品と2位の商品という表示があっても、「両者の違いは何?」など店員さんという人間にきいてみたくなるが、売り場にいる店員さんの数はめっきり減った。

最近、うちの子供たちに、独力で新宿駅で電車を乗り換えて、私の実家にまで行けるようになったらいいなと思い、先日、その第一歩として、説明しながら一緒に行った。乗り換えのときの道順はもちろん、どのホームの電車に乗るかとか、快速は降りる駅に停まらないなど、子供にとっては分かりにくいことが結構あるので、「分からないときは、ホームの駅員さんにきけばいいよ」と言ってみたものの、ホームで駅員さんはなかなか見つからない。「やっぱ、そのへんの人にきいてみてね」と言い直した。すると、カミさんは「今どきは、『そのへんの人』はどんな人か分からないからねー」などと言う。『そのへんの人』を選ぶ眼力も必要なのか。

それでふと思い出すのが、私の子供の頃。自宅の建てかえがあって、3ヶ月ほど都電を2本乗り継いで(つまり乗り換え1回で)親戚の家から小学校に1時間ほどかけて通っていたことがあった。4年生頃だった。今でも憶えているが、目線が低い子供にとって、通勤・通学ラッシュは、人の壁に囲まれるようなものだ。しかし同じ時間の都電に乗っていると、同じ運転手さん・車掌さんだったりして、顔見知りになる。そして、子供には満員の電車は辛かろうと、運転手さんや車掌さんのスペースに入れてくれた。

都電と言っても今は知らない人の方が多いだろうから、少し説明しよう。まず東京には昔、路面電車がたくさん走っていた。車両数は連結なしの1両で、その車両の先頭部分に運転手さんのスペースがあって、乗客のスペースとの間仕切りとして、大人の腰の高さぐらいに横方向のバーがあった。当然、最後部は車掌さんのスペースなのだが、先頭部と全く同じ計器類があって、やはり全く同じようにバーが間仕切りになっていた。反対に進むときは、運転手さんと車掌さんが入れ替わる。私が入れてもらったのは、そんな聖域とも言える運転手・車掌だけが入れるスペースだった。当然、大きな大人に押されることもなく、楽ちんだった。「おぅ、坊主。いいなー」と他の乗客から親しげな声を掛けてもらったことも憶えている。無論、その運転手さんや車掌さんは、ルール違反だったろう。でも、何も問題はなかった。そして何より、小学生の私が大人の社会に対して少し安心感とともに自信を持つことが出来た。

省人力化はますます進むだろう。しかし、大事なことは、もうすでにそれは世の中の進化とは思えなくなっていることだ。「あそこのガソリンスタンドは、セルフじゃないからちょっと高いけど、窓拭いてくれるんだよね」なんてことは実際すでにあるし、機械で成形したおにぎりより、手で握ったおにぎりの方がおいしい。

子供の頃、漫画で見た未来図は、とても豊かな雰囲気に満ちていた。だが、現実的にそんな未来図に近くなった今は、次の別の豊かな雰囲気に満ちた未来図が必要のような気がする。でも、それってどんなものなのかな?

2015年9月10日木曜日

福生のラーメンバーガー

雨、雨、雨の日々だ。何しろよく降る。お盆までの猛暑から、一気に涼しくなったはいいが、これだけ降るとね。我が家で注文している生協も欠品が多い。農家や漁師は困っちゃうよ。あー、カラッとした抜けるような青い空が待ち遠しい。

さて、ラーメンバーガーです。

前のエントリでは、エル・ドラドのことばかりになってしまったが、エル・ドラドは今はもうない。今、福生にある、ラーメンバーガーのことを書こう。

ラーメンバーガー、それは、ハンバーガーのバンズのような形に成形されている加熱済みのラーメンの麺をを鉄板でやや焦げ目がつくぐらいに焼いて、バンズの代わりのようにしている。それに具がサンドしてあるのだが、それがハンバーガーを包むような紙にくるまれていて、その紙を両手にのせるようにして、頬張る。麺にやや焦げ目をつける手法は、中華の焼きそばに似ているが、あれほどカリッとはしていない。ただ、あそこまでカリッとさせると、歯でちぎりにくくなるような気がする。

この店では、大きく2種類あって、ノーマル(800円)なのと、いわゆるトッピング全部のせのようなもの(1100円)。トッピングはバラでも頼める。臨時休業もあって、「やっと行き着いた感」の勢いがあったこと。知人からの前情報として、「(ノーマルだと)ボリューム不足」というのもあって、全部のせの方をビール(ハートランド)とともに注文した。結果、私的には、ちょうどいいボリュームだった。ボリュームについてだが、バンズ代わりになっている麺の量自体は、普通のラーメンと同じかやや多いぐらい。でも、汁に浸かったラーメンに比べると、感覚的に少なく感じるかも知れない。冷やし中華の麺を少なく感じるのに似て。また、焼きそば程にはオイリーではないので、それも少なく感じる要因になっているかも知れない。

ノーマルの具はハンバーグと青菜など(たぶん)、そして全部のせは、ハンバーグに、スライスチーズ状態のチェダーチーズ2枚、目玉焼き、やや厚めのベーコンにベビーリーフのような生の青菜、それに醤油味のソースがかかっている。添え物として、トルティーヤチップス(写真左側)。昨日は、「おまけ」と言われてサルサソースをつけてくれた。そのサルサソースは、トルティーヤチップスと一緒に食べるのかなとも思ったが、バーガー食べながらの箸休め的サラダとしてちょうどよかった。

最初に、「ラーメンバーガー」と聞いたときは、どんなもんなんだろう? と「?」な気持ちが湧いた。食べてみると、お店には失礼ながら、全体的に丁寧に作られいる感じがあって意外とおいしい。味の決め手は、この醤油味のソースだけど、サーブされてのパッと見は、「ん、テリヤキソースかな?」と思ったが、アメリカなどで市販されているテリヤキソースのように甘くないのがいい。あと、原因までは分からないが、後味に、ややコゲ味があったのが少し気になったが、個性とも思えた。

食べ始めは、ラーメンというより、完全にバーガーだったが、最後の方になると、包まれた紙の底に、ややばらけた麺に醤油味のソースと目玉焼きの黄味がからんで、まぜそば風ラーメンのようだった。

今度は、ノーマルを頼んでみよっと。

2015年9月3日木曜日

幻のエル・ドラドとラーメンバーガー

きょうは珍しくモノクロ写真。ガラ系の携帯カメラで撮ったら、横線は入るし、あまりにも変な写真になっちゃったので、モノクロに変えてみた。分かりにくいが、これがラーメンバーガー。このラーメンバーガーのお店は、私の仕事場である福生にあるのだが、この店になる前は「El Dorado(エル・ドラド)」というラーメン店で、それはそれはおいしいラーメンだった。

ということで、ラーメンバーガーを語る前に、順序として去年ぐらいにあった、「エル・ドラド」を書きたくなった。

そのデリケートな味わいは大好きで、ときどき通った。昼間は閑散とした福生の赤線エリアで昼だけの営業。こんな辺鄙とも言える場所で、こんな美味なラーメンにありつけることが不思議なぐらいとてもおいしかった。最初に入ったとき、「エル・ドラドってどういう意味ですか?」とご主人にたずねると、「アメ車の名前です」。私からすると、古いアメ車って華やかさと同時にガソリンまき散らしながら走っている脳天気さを連想するので、それが好きな人がこの繊細なスープを料理していると思うと、新鮮な気分になったことを憶えている。

しかし、「玉にキズ」とはこのことだ。臨時休業が多く、店の前まで行って、入れた日より、入れなかった日の方がずっと多かった。臨時休業の札が3ヶ月も掛かりっぱなしということもあった。ネットでみても、電話番号は非公開。

3ヶ月ぶりに開いた店に入ったとき、ご主人に、「久しぶりですね。3ヶ月もお店閉めて、どうしてたんですか?」とたずねた。「仲間の店が相模原に開店したんで、その手伝いに行ってたんですよ。最初は1ヶ月のつもりが、長くなっちゃって‥‥」とのこと。「(夏から秋にかけての3ヶ月だったので)長めのバケーションでどっか旅行か何かに行ってたのかと思ってましたよ」と私。ご主人、苦笑い。

そしてしばらくしてからは、その閉ざされたシャッターには、ついにその「臨時休業」の札も掛からなくなり、再び「エル・ドラド」のラーメンにありつけることはないなー、と思っていた矢先、知人から「エル・ドラドがラーメンバーガー屋さんになってたよ」との情報を得た。「ラーメンバーガー?」 先週の金曜日に行ってみたものの、「臨時休業」。「またか」と思ったものの、気持ちを新たに再び行ってみた。それが昨日のこと。やっと行き着いた。

話題もラーメンバーガーに行き着きたいところだが、私としては、エル・ドラドのことも気になっていたので、ラーメンバーガー食べながら、カウンター越しのお店の人にエル・ドラドのこともきいてみた。

すると、この店はエル・ドラドのご主人の経営であること。エル・ドラドは昨年末に閉店し、その後は、他のラーメン店の仕込み場に使っていたこと、などの話を聞いた。

そして、「ラーメンバーガーって、このお店の考案なんですか?」

「いえいえ。ニューヨークとロサンゼルスで、ラーメンバーガーがヒットしていて、それをやってた人とうちの社長(エル・ドラドのご主人)が親しい関係で、ならば日本でも、ということになったんです」

「でも何でこの福生になったの?」

「最初は中野でやってたんですけど、お客さんに外国人の方が多いので、ならば、(今は仕込み場に使っている)福生でやってみたらいいんじゃない、ということになったんです」

この場合の「外国人」はアメリカ人ということだろう。米軍基地のある福生は確かにアメリカ人が多いが、最近はアジア系の人たちも多いことを補足します。まー、何しろ何にでも理由というのは必ずあるものだ。どうもエル・ドラドは完全に閉まってしまったらしいのが残念ではあるが、仕方あるまい。

さーて、ラーメンバーガー。なんだけど、そろそろ仕事に戻らないといけなくなってしまったので、それは改めて。

2015年8月19日水曜日

続・ベトナムの氷割り器〜「点、そして線と面」

8月3日のエントリで、ベトナムの氷割り器について書いた。その最後の方に、その氷割り器の弧が若干平らになっていることが気になると書いた。上の写真は、その部分をアップにして撮った写真だ。こっちの写真の方が分かりやすいと思う。端の部分がややせり上がっているとともに、端の弧の中央部分が2センチほど平らになっているのが分かるだろうか。これは両端ともそうだ。

この夏から使い始めて、何となく一ヶ月ぐらい使って書いたのが先のエントリで、それからさらに二週間余り毎日使い続けてきて、ようやくこの形の意味を感じるようになった。使い慣れてきたということなんだけど、レポートしたくなった。

氷を叩くとき、もしもこの端っこの弧が2センチの「平ら」でなく丸くなっていると、氷との接点は点になる。しかし、若干「平ら」になっていることで、その接点が線になる。短い線ではあるが、線が長すぎると力が分散してしまうので、きっとこのぐらいがちょうどいいのだと思う。タッパーで作った氷の固まりを、まずはその短い線を意識して下の写真のように叩く。写真を撮りながらなので、氷をボウルに置いているが、叩くときは氷を左手に持って右手で握った氷割り器で割った。
2〜3回、横に少しスライドさせながら、一の字に叩いて割れたのが下の写真。
真一文字に氷が割れた。当然のことながら、向きを90度変えて叩けば、この後さらに垂直方向にも割れる。そのようにして、上の2つになった固まりを、ちょうどコップに入るぐらいの大きさにしたのが下の写真。
こんな風に、純米酒を氷で飲むにはちょうどいいサイズ。
でまぁ、さらにキューブ状の製氷器の氷ぐらいのサイズにしてみよう。氷が上の写真の大きさぐらいからは、その短い線で割るよりも、その線のやや下の部分の(尾根の)平らになっているところで、手の平にのせた氷の概ね中央を叩いてみた。つまり、面で叩いたのだ。すると砕けるように、下のような写真の大きさになり、水筒にも入るサイズになった。
私はまだこの氷割り器ユーザー歴一ヶ月半ぐらいの初心者だが、それでも、最初の1個の氷の固まりを水筒に入るサイズまでにするのに30秒もかからなかった。

似たような役割のアイスピックの先は鋭く、小さな点だ。点の方が力が集中しやすい分、より大きな氷の塊でも割れるだろう。その代わりに、割る方向を定めるためにはある程度の熟練が必要になると思う。一方、このベトナムの氷割り器は、線で割るので、あまり大きな氷は割れないが、割る方向は定めやすい。さらに面で割ることも出来るので、氷を細かくする機能をも備えている。

バーテンダーのようなプロには向かないだろうが、アイスピックを使う一般家庭がどのくらいあるというのか。私を含めた一般家庭では、誰でも使えるこれで十分であり、とても優れている。無論、尖ってて危ないということもないし。

ベトナムは一年中暑いから、氷はいつも需要がある。ついでに言うと、ベトナムでは、ビールに氷を入れて飲むことも多い。季節を問わず、氷を毎日たくさん使うのだ。まさに気候は文化を作る。この氷割り器はその文化の表れであり、日本とは文化が違うのだ。この微妙に弧が若干平らになっている形も洗練されているように感じる。そして、「緩〜く(何となく)」うまく割れるこの感じがいい。物事極めることもいいが、この氷割り器を使っていると、南国ベトナムの「こんぐらいで、いいんじゃない」という「足るを知る」ような程よい感覚を感じるようで、楽しくもある。

それにしても、先のエントリでも書いたとおり、「この形って竹じゃない?」という疑問を思い出した。一番上の写真を改めて眺めて見ると、端に向かってややせり上がった部分が竹の節付近のようにも見えてきた。そうした方が力がかかりやすいだろうな‥‥。今度竹で作って、氷を割ってみたくなってしまった。

2015年8月11日火曜日

最近のかき氷

週末は学校休みの子供たちと遊ぶことが多いのだが、先週末その子供たちは、小学校の校庭に張ったテントに泊まるサマーキャンプというイベントに参加ということで、久しぶりに自由な時間が出来た。

最近は慣れてない自由時間。その朝思いついたのは、かき氷だった。
この暑さなのでね。

最近は、日光の天然氷とか、自家製のシロップや練乳のかき氷屋さんのことをよく聞く。そうした有名店は、夏場、長い行列ということも同時に聞くが、我が家の近くの立川辺りで「どっかないかなー」とネットで検索してみると、何とあった。

「雪の下」。大阪が始まりで、最近銀座にお店を出したらしい。「東京進出」っていうことだ。そして、今年4月に、何と立川にも出店したようだ。東京2号店が立川というのは?だが、地理的に東京の東(銀座)と西(立川)ってことかな。立川基地跡や駅周辺がどんどん区画整理されている立川はそれなりの場所なのか。

そんなことはどうでもいいとして、この「雪の下」、どうも最近流行りのパンケーキがメインらしいのだが、パンケーキの次あたりにかき氷も主張している。流行りと言ったら怒られそうだけど、日光の天然氷ではなさそうだが、天然水で作った氷らしい。まー、最近のかき氷初心者の私としては、これはちょうどいいと思って、早速行ってみた。

お昼過ぎ頃、店に入ると50人ほど入りそうな客席の9割方はうまっていたが、4人掛けのテーブルがひとつ空いていた。ラッキーだろう。言ってみれば、今どきの甘味処なので、ほとんどが女性客。2組だけカップルがいて、それで男性は2人。そこへ私が加わった。席につくと、目の前の目立つところに、20リットル入りの天然水の容器が3つほど積んであった。

かき氷を目指していったので、メニューのパンケーキのページは飛ばして、かき氷。迷わず、「京都森半抹茶氷(800円)」を注文した。それが冒頭の写真。従来のかき氷では、宇治金時が一番好きだからというのが理由だ。てっぺんに、豆かんの豆(赤エンドウマメ)のような甘く炊いた大きな豆が3粒。その下にアンコ。そして、抹茶を氷にしたもの(水+抹茶)を削った抹茶氷。これメニュー見たときからそそられました。はい。その氷を掘っていくと、中には、おそらく自家製であろう練乳の固まり(デカビーぐらい)が入っていた。

まずは、お豆をひとつ。あー、浅草の「梅むら」の豆かんが食べたくなった。やはり豆かんは「梅むら」よりおいしいのを知らない。あそこは特別中の特別だとは思うが。で、ここのお豆はやや皮がしおれた感じでやや硬いが、サイズがでかくてリッチな感じ。普段甘いものを食べない私が、珍しく自主的に甘いものを食ってるなー、と思いながら、抹茶氷をスプーンひとつ口に入れたときの食感は忘れられない。フワッと舌の上で溶ける。きっと氷の温度が極端に低くないのだ。水に抹茶が入っている分、氷点が低いこともあるのだろうか。氷の削り方も、初めてのもの。写真でも分かるかなー。カンナで厚く削ったような感じ。昔、お蕎麦屋さんが軒下に干していた、厚みのある鰹節のような(鰹ではないかも)削り方だった。これが舌の上にのると、フワッと溶けて、舌の上に広がる。これがとてもいい。

次に味の方だが、渋ーい。この抹茶、それは薄茶ではなく、濃茶の渋さだ。内部の練乳の存在を知るのは、後のことだったので、トッピングされた3粒のお豆と少量のアンコとのアンサンブルで、しばらくこの抹茶氷を食するのだが、お茶で言えば、濃茶ばかりを何杯もお代わりして、お菓子にありつけないような状況だった。いくら甘いものを食べない私でも、度重なる抹茶の渋さが途中で辛くなった。でも、その辛くなって耐えられなくなったタイミングで、中の練乳の固まりに出会った。それは光明が差した心持ち。そのスリルは、とことん追い込められた主人公が、最後の最後に救われる映画のようにドラマチックだった。

こんな大人向けのかき氷だけでないので(パンケーキがメインだし)、今度は子供やカミさんを連れてこようと、会計のときに、店員さんにきいてみた。

「何時頃が一番空いてるの?」
「そうですね。開店時(11時)か、夕方5時頃。4時だとやや微妙ですねー」

氷を食べ終わった野郎一人が落ち着く空間ではなかったので、そそくさと、35℃の炎天下へと店を出た。ちょっとした私の自由時間は終わった。作りかけの棚作りをこの日に完成させなければならなかったのでね。

2015年8月3日月曜日

ベトナムの氷割り器

「上の写真は、一体何でしょう? 長さは20センチぐらい。アルミ製です」

と、本当は、クイズにでもしたいところなのだが、タイトルで謳ってしまっているので、クイズにならないのがとても残念だ。ひっくり返して見たのが下の写真。
「TP」と文字が入っているが、それは○○印っていうぐらいの一つのブランド名で、特に深い意味はない。ベトナム・ホーチミン市のことを、「TP. HCM(ホーチミン)」と称したりするから、そこからとった「TP」ぐらいのことだろう。

何しろ、これ、ベトナム人なら誰でも使ったことがある、またはベトナムの家には一家に一つは必ずあるという、氷割り器なのだ。しかし、他の(氷をたくさん使いそうな)熱帯の国では見たことがない。私は初めてベトナムに行ったときから、これが気になっていて、10年ほど前にベトナムで購入し自宅の引出しの奥にしまっておいたのを、つい先日思い出してキッチンのすぐ手が届くところに置いた。この夏から、我が家で大活躍してもらっている。

使い方は何とも単純。

冒頭の写真で言うと、細長い下3分の1ぐらいのところを持って、「TP」の文字がある丸くなった面や上部の端で氷を叩く。同じような役割の道具としては、アイスピックになるのだが、ご覧のとおり、これは全く尖ってないから、とても安全だ。子供でも容易に使える。

我が家では、子供たちがだんだん大きくなってきて、この時期、氷を使う量も増えてきた。しかも冬場なら一日二回は作れる冷凍庫の製氷器も、この暑さになると一日一回になる。製氷器で作る氷だけでは足りない。そこで私は、タッパーに水を張って、製氷器とは別に氷を作るようになった。その氷の塊を割るのに、このベトナムの氷割りは実に便利だ。ほぼ一年中氷が活躍するベトナムでは、リヤカーなどで氷屋さんが大きな氷の塊を運びながら、売る直前に靴の箱ほどの塊にしてレストランなどに売っている。よく見かける風景だ。レストランはその塊をこの氷割り器で割ってグラスに入るサイズにするのだ。また、ベトナムの一般家庭では、我が家のように、タッパーで氷の塊を作って、割って使う家も多いと思う。

また、余談ながら、ベトナムへ行って、町中で、“チンチンチンチン♪”とリズミカルな金属音が聞こえたら、それはこの氷割り器を箸で叩いている音だ。それはフォー(ベトナムの米麺うどん)の出前の客引きだ。たいがい子供が歩きながら鳴らしている。その子供に、注文するとフォーを出前してくれる。

さて、この氷割り器。
私は、細かいことが気になった。
 上の写真、この丸くなった「TP」側の面の弧をよーく見て頂きたい。実物を手に取るととてもよく分かるのだが、手前から奥に向かっての尾根線が、2センチほどの幅で、田んぼのあぜ道のように平らになっているのが分かるだろうか。その部分はちょうど氷が当たるところだ。氷を割るには、平たくなってない方がよさそうだが、本当はこの方がいいのだろうか。もしかしたら、私が気がつかないだけで、ここにベトナムの科学が反映しているのかも知れない。何しろ、あえてそう作ってあるように見えるので、私はとても気になってしまう。

そして、一番気になるのは、「そもそも何でこの形なのか?」

「この形はどう見ても、竹でしょ」と感じるのは私だけだろうか? 確かなことは分からないが、昔は、こうして竹を切って縦割りにしたものを氷割りに使っていたんだろうと想像してしまう。しかし、製氷機が作られた頃には、このぐらい単純なアルミの成形も難しくなかったとも想像出来るので、本物の竹が使われていた期間はとても短かったに違いない‥‥などと、私の妄想は巡る。別にこの形でなくても、例えば、スリコギのような棒状でもいいような‥‥。でも裏側をくりぬいて軽くしたようなこの形が優れているのか‥‥。何でベトナム人は、今もこの形を使っているのだろうか?

「アイスピックなんていらないよ。そんな厳密に割る必要はないからね。尖っていると危ないし。昔はこれが竹で、それが使いやすかったら、今も同じ形なだけさ」

この形を見ていると、そんなベトナム人の言葉が聞こえてきそうな気がする。何となく、氷がアバウトに割れるこの形が、ベトナムのいい意味でのアバウトさを表現しているように、私は思ってしまう。

2015年7月29日水曜日

サイゴンのバラータと4種の花のピザ

今年の4月のエントリ(ベトナムのコンデンスミルクとおいしいチーズ)で、ベトナム・サイゴン(ホーチミンが正式名称)にあるピザ屋さん、4P's(フォーピース)に触れた。「うまい」という噂を聞きつけて訪れた。このピザ屋で使っているチーズは全て、ダラットのチーズ工房で作られている。きょうは、その続き。

先のエントリでは、定番とも言える、「マルゲリータ」のことを書いた。で、私たちは、今年1月の来訪時、「マルゲリータ」の他に、「バラータのピザ」と「4種の花のピザ」というのを注文した。このお店では、「マルゲリータ」よりも、他の2つの方が印象に強く残っているので、それらについても書かねばならない。

ということで、まずは、「バラータのピザ」。バラータは、モッツァレラが巾着のようになっていて、内部の濃厚なミルクを包んでいる。テーブルにサーブされた直後が下の写真。生ハム、ルッコラ、生トマトの上にちょこんとのっていて、オリーブオイルがかかっている。
そしてサーブしてくれたお兄さんが、慣れた手つきでナイフとフォークを使って、放射線状にバラータを切ってくれる。中身の濃厚なミルクはピザの上にトロッと広がる。
これみて思い出したのは、5年前に行った、イタリアはイタリア南部のオストゥーニのレストランで食べたバラータ。あれもうまかった。そこでは、バラータにはシンプルにザクロが添えられていた。その写真が下。日本では食べたことがない。日本では作られていないのだろうか。またはあんまり輸入されていないのか。いずれにしても鮮度が大事そうなチーズだ。
イタリアでのシンプルな食べ方もよかったが、4P'sの生ハムと一緒にピザで食べたのは、とってもリッチなおいしさ。中の濃厚なミルクとフレッシュなモッツァレラの味、それとともに生ハムの旨みたっぷりの塩分とルッコラの淡い苦味が口の中で広がる。こんなに贅沢していいものかと思うぐらい。4月のエントリでも書いたが、生地もちゃんとおいしい。「ベトナムでこれが食べられるから」ということではなく、とてもおいしい料理だ。

そして、次はまったく別のおいしさ。「4種の食べる花ピザ」が下の写真。モッツァレラの上に花がのっている。
そして、花(らしきもの)を並べてみたのが下の写真。左から3番目はカボチャ、一番右はニラのようだった。
マルゲリータ→バラータのピザ→花ピザの順でサーブされて食べたのだが、バラータのピザがあまりに濃厚でリッチな味わいだったためか、この花ピザを食べたらホッとした。花ピザというと派手なイメージもあるかも知れないが、これらの花は、いろんな淡い苦味を持った山菜のような素朴な味だ。私はまだ食べたことがないのだが、ベトナムには、「花鍋」なる鍋料理がある。この「花ピザ」は、おそらく「花鍋」に着想を得て考え出された、ベトナム独特のものではなかろうか。

また、「花を食う」で思い出すのは、「戦場のメリークリスマス」という映画の中で、デビッド・ボウイ演じる捕虜が花を食ったシーン。それを見たビートたけし演じる日本兵の「貴様、花を食うのか!」という台詞があったような。詳しくは忘れたが、とにかく周りはその行動にビックリし、そのときを境にその映画の中の重要な価値観が変わったような記憶がある。遠い記憶だが。日本でも、カボチャやアカシアの花の天ぷらを食べたことがあるが、「花を食う」ことはどこか特別な気分がするものだ。

こうしてすっかり満足してしまった、ベトナムはサイゴンの4P'sのピザ。次行ったら何を注文しようか。たしか、クワトロフォルマッジ(4種のチーズのピザ)なんかもあったな。あっそうだ。「4種の食べる花ピザ」の4種はここからの着想か‥‥。

2015年7月28日火曜日

梅酢ドリンク

猛暑、猛暑、猛暑。
こんなに暑くていいのか!

確かに猛烈に暑いのだが、梅干しを作っている人なら、待ち焦がれたカンカン照りとも言える。梅雨が明けてのこの強烈な陽差しは、梅干し作りには欠かせない。年によっては、ほんの数日間しかカンカン照りの猛暑がないことがある。たまたまその数日間の自分の都合が悪いとカンカン照りの下の土用干しは出来ないことになるのだ。

だから、梅を土用干し用のザルに並べ、この強烈な陽差しが梅干しに当たっているのを眺めていると、「よくぞここまでカンカン照りになってくれた」との思いがよぎる。このときばかりは、暑さがうっとおしくなくなるのだ。これは梅干しを作っている者の特権のような気がする。

そして、梅干しを作っている人にとってのもうひとつの特権。それがこの「梅酢ドリンク」だ。ただ梅酢を水で割るだけ。炭酸水割りもいい。もちろんオプションで氷。赤ジソの色も鮮やかだ。私は、外出時、水筒に入れても持って行く。これをつい去年の夏に思いついた。今年は、炎天下でサッカーしている息子にとっても必需品になっている。私は、梅干しを作り始めて15年目ぐらいだが、これまで梅酢は結構余りがちだった。何でこんなおいしくて、こんな簡単なことを、去年まで思いつかなかったのだろうとつくづく思う。唯一のコツは、最初は梅酢を入れ過ぎないこと。ほんの少しだけ。ゴクゴク飲めるように。この猛暑の中、欠かせない水分&塩分補給を、梅のクエン酸、赤ジソのアントシアニンなどととともに出来る。また糖分もないので、食欲増進にも繋がる。最近流行りの「経口補水液」の味を、好きになれない私にとって、とても有り難い。

私の梅干しは、きょうで土用干し2日目だが、梅酢は、土用干しを始めると瓶詰めされ、使い始めることが出来る、いわば梅干しの副産物だ。つまりは、梅干しの「汁」。我がカンホアの塩のサイトでも、梅酢の使いみちとして、「赤梅酢ご飯」と「本物の紅生姜」を載せているが、去年思いついた水で割るだけのこの「梅酢ドリンク」は、その究極の使いみちのように思う。

飲み物のおいしさには色々あると思うが、「梅酢ドリンク」のおいしさは、「上品でさっぱりとした味」のおいしさだ。これ以上さっぱりした飲み物が他にあるだろうか、とさえ思ってしまう。

ところで、「梅酢ドリンク」という名前がダサイ。例えば「梅酢ジュース」の方が聞こえはいいのだが、用途としてはゴクゴク飲むスポーツドリンクに近いので、やっぱり「梅酢ドリンク」か。梅・塩・赤ジソの梅酢と水だけの原材料、それも自分で梅干しを作った人は、それらの原材料は自分で選んだものだ。だから、「梅酢ドリンク」は、自分で梅干しを作った人の特権とも言えると思う。糖分フリーなところは、スポーツドリンクとは異なることを付け加えておきたい。

この時期、梅干し自体もとってもいいのだが、水分が欲しくなる。この「梅酢ドリンク」は、水分も同時に摂れるというスグレモノ。梅干し作っている方には特に、一度試してもらいたい。梅干し作っていなくても、作っている人に分けてもらうか、市販のを買うかして試してもらいたいサッパリ感です。

2015年6月29日月曜日

上履きのデザイン

どこにでもある小学生の上履き。これは2年生の息子のものだ。この「足の甲に幅広ゴム」のデザインは私が子供の頃から変わらない。今から4年前、息子のお姉ちゃんの小学校入学当時、久しぶりにこの上履きを見てふと思ったことあった。

「あー、今でも小学生の上履きのデザインは変わらないんだ。でも、何で、昔からこのデザインなんだろう?」

その答えとして、当初、私が思ったのは、「このデザインが一番履きやすいからだろう」だった。確かにそれは間違いないだろう。でも、毎週のように、この上履きを洗い続けて4年ぐらい経った一ヶ月ほど前、突然、別の理由に気がついた。

上履きに限らず、スニーカーなど靴を洗うときは、写真のような、柄の付いた靴洗い用のブラシで洗うのだが、子供の上履きは一週間毎日履くしとても汚れる。その汚れをゴシゴシ洗っていると、靴内部のつま先部分は洗えるのだが、どうしても足のカカトの部分、靴のカカトではなく、足のカカトが踏む靴の中の底の部分が洗いにくく、その部分の汚れがどうしても残った。ブラシ先端の狭い部分を靴のその部分にあて、ブラシを立てて擦るのだが、うまく擦れないのだった。

軽いストレスを感じながら、「しょうがないな」と思い、4年が経った。

そして一ヶ月前のあるとき、気がついた。ブラシを反対向きにして、つまりつま先の方から幅広ゴムの下を通して、カカト方向に向かってブラシを擦ればいいんだー、と。それが冒頭の写真である。こうすると、ブラシの広い部分を使いながら、足のカカトが踏む部分を容易に擦ることが出来た。

もう50年も前からこの上履きを見てきて、この上履きのデザインの意味を初めて知った思いがした。先述のとおり、履きやすさもあろう。でもそれはこのデザインの半分で、もう半分は、洗いやすさだったんだ、と思った。

思えば、私が小学生の頃は、上履きを含め、自分で靴を洗うようなことは一度もなく、親に洗ってもらっていた。数十年後、今度は自分が子供の靴を洗うようになって、その汚れに苦労している。その段になって初めて、洗い方を考え、ハッとあるとき、「なんだ、こうすればいいじゃないか」と気がつく。そして、改めてこの上履きのデザインを眺めてみると、別なモノに見えてくるから不思議だ。「よーく、考えられているなー」と、今さらながら感心した。

この上履きのデザインの場合、何年か洗い続けたことがキッカケで気がついているのだが、何年も洗い続けるまで気がつかなかった自分がいるのも事実だ。そう思うと、こういうことって身の回りにたくさんあるような気がしてきた。昔から身近で見慣れたようなものながら、それまでその意味や価値に気がつかずに、または部分的にしか気づかずに、長い時間が経過してしまうことって。それに気がつくだけで、便利や、ときには幸福感まで享受できるというのに‥‥。

気づいていないことに気づくこと。それは難しい。人間にとって、気づいていないことは無に近いからだ。「近い」というのは、潜在的には、「きっと気がつく」という希望的観測から。だから、ただの「無」なのかも知れない。

下の子が、小学校を卒業するまでに、あと5年。上履きを洗う度に、自分に問いかけてみる。「ここにブラシを突っ込んで洗うことに、何年も気がつかないぐらいなんだから‥‥」、身の回りに、保護色になって見えないことはないのだろうかと。未だに気がついていないだけで、必ず、あるんだと思う。

2015年6月22日月曜日

醤油小屋

 3月17日のエントリで、搾り師の醤油搾りというのがあった。そのときは、文字通り、醤油を搾った際のもの。で、搾り終わって、一升瓶に詰めると、樽が空く。そして、4月、次の、つまり今年の仕込みが終わった。

で、3月の搾りの際、搾り師の天野次郎さんは、搾る前のモロミを味見した後、アドバイスしてくれたことがあった。

「夏場の温度が少し足りなかったかも知れないですね」

2014年4月25日のエントリ、手造り醤油でも触れたが、この萩原忠重さんが考案した醤油仕込み方法の最大の特徴はここにある。通常の醤油仕込みは、夏場の温度上昇を抑えるため、冷暗所で行われるが、私たちが行っている製法では、夏場は、直射日光に当てる。いや、直射日光に当てるだけでなく、温室内などに置いて、さらに温度を上げるのだ。

またもう一点。搾り師の方々は、冬場、軽トラに搾り器を積んで、いろんなところへ搾りに行く。だから、それらいろんな状況で仕込まれたいろんなモロミを見てきている経験が蓄積されている。だからこそ、こうしてアドバイスしてもらえるのだ。今年の搾り後、私は天野さんに「いろんなモロミを見ると勉強になりますよ」誘われて、他のモロミの搾りを見学に行ったことがある。夏場は陽に当てるなど、製法の概要は共通だが、あまりにも違うモロミで驚いた。つまり、搾り師は、搾るだけでなく、仕込みのアドバイザーでもあるのだ。

去年まで、私たちは、南向きの軒下に仕込み樽を置いた。雨もよけなければならないので、軒下だった訳だが、一番陽が高い頃だと(つまりちょうど今頃から)、しばらくの間その軒下は軒の影になってしまっていた。その軒下を貸してくれている友人もそれに気がついていた。さらに、閉じた空間ではなかったので、天野さんの「温度が少し足りないのでは?」にはとても説得力があった。そして、その言葉が耳にこびりついた。でまぁ、梅雨前でかつ「これから暑くなるぞー」という5月末についに冒頭の写真の醤油小屋を作る運びとなった。

こうして、偉そうに私は「醤油小屋」だの「夏場の温度」だのと書いてるが、場所は、その友人宅だし、原材料の手配や仕込みの段取り、普段の攪拌もほとんどはその友人にお願いしている。なので、「こんなときぐらいは‥‥」ということで、5月末に私も参加して、その小屋(温室)作りに携わることになった。幸い、その友人は非常に器用な人で、役目を終えた古い枕木を主材料にして、でっかい自分の家までも作っちゃった人。この醤油小屋も私の猫のような手が加わっただけで、すんなりと出来上がったのだった。

冒頭の写真は、私がその友人宅を後にした際のもの。あとは横壁のビニールシートを貼って完成というところまでこぎ着けた。そして、下の写真が、後日の完成後。中に、モロミの樽が鎮座されてる。
私はベトナムで「カンホアの塩」という塩を作っているが、それにも少し似ているところは、自分が望むものを作るためには、それを作る設備を作らねばならないこと。私の場合は、「カンホアの塩」を作るための塩田などある訳だが、それを作っていると、塩を作っているんだが、塩田を作っているんだか分からなくなるときがある。この醤油もそれに似て、醤油を作っているのだが、せっせと小屋を作らなければならない。

余談だが、「カンホアの塩」に【石窯 焼き塩】といういわゆる焼き塩があるが、その石窯は、この醤油を仕込んでいる「友人宅」のその友人本人に、設計から施工、そして焚き方指導までお願いしているのだった。彼の名は、黒澤有一。陶芸家でもある。上の写真の醤油小屋の裏手には、彼自作の登り窯がある。(クイズ:チラッと煙突が見えているけど、どれかな?)

来年春先の搾りには、出来たら、今年来てくれた搾り師・天野次郎さんにまた来てもらいたいなー。今から、「今年のはどお?」ときいてみるのが楽しみだ。

2015年6月15日月曜日

ネキリムシと家庭菜園

我が家の庭の小さな家庭菜園。半分は今流行りのグリーン・カーテンということで、窓際の畑。4月末に、ゴーヤ、朝顔、フウセンカズラの種をポットで発芽させた。これに庭中央の普通の畑にと、バジルもポットで発芽させ、さらにトマトとピーマンの苗をホームセンターで買ってきて、みんな一緒に5月半ばに植え付けた。

すると、その2〜3日後から、毎日のように、ゴーヤ、バジル、朝顔、フウセンカズラの苗が根元で茎が切られていた。冒頭の写真は、バジルの根元の茎が切られた様子。これが次から次へと毎日続き、植えた苗はどんどん減っていった。実は、去年も同じようなことがあったので、種からのものはポットで必要量の2倍ほどを育てておいた。一週間ほど毎日根元で切られると、週末それらを補うように、少しずつ植え足した。それでも、毎日切られる茎また茎。

去年は、そんなことしているうちに、何とか苗は育っていったが、今年はちょっとレベルが違う。だんだん気分も滅入ってきた。いったい誰の仕業だ。虫か、鳥か、はたまたのら猫か? まずは、薄めた木酢液なんぞをスプレーでシュッシュを何日か続けてみたものの効果なし。

そして、一昨日の土曜日の朝、ターニングポイントは訪れた。それなりに育って太くなっていたトマトの茎までもが、何と、無残にかじられていたのだった。これまでは、バジルやゴーヤなど概ね細い茎が切られていたので、虫か、鳥か、猫に「切られた」って感じだったのだが、これは明らかに「かじられていた」。それが下の写真。根を土から抜いて、葉っぱを落としてしまったが、3箇所かじられおり、一番下のところで「かじり切られている」。

このかじられた痕を見て、「このままいくと全滅だ」と感じた。いつもは「趣味なんだから」と、ゆるーい気分でやって何となくうまくいってた家庭菜園も、こうなると真剣になって、ネットで調べる気になった。

どうやらその犯人は、通称ネキリムシ。「根を切る」虫なので、ネキリムシなのだが、我が家のこのケースは、いくつかいるネキリムシの中でも、カブラヤガの幼虫らしい。ネットで調べたのは、昨晩、とっぷりと日の暮れた8時ぐらいだったが、日中は地中2〜3センチのところに潜み、夜行性とのことだったので、早速暗い中、懐中電灯を持って畑を見に行った。

小さな園芸用のスコップで土をちょいちょい掘ってると、いたー。出てきた出てきた、ネットで見たのと同じ虫。2匹捕獲。大きいので4センチぐらい。こりゃ木酢液なんかじゃダメなわけだ。一見ただのイモムシなんだけど、こいつらがこれまで1ヶ月ほど毎日のように、苗をかじっていたかと思うと、「ただのイモムシ」でなく、「害虫」に見えるから不思議だ。じぃーっと観察。色は土色、しっかり保護色だ。そして、翌朝、再び畑を見に行くと、またバジルが2本切られていた。そして、再び土を掘ってさらに2匹捕獲。それが下の写真。
無論、このカブラヤガの幼虫も、必死に生きているのだからと思うと、無碍に殺せない。‥‥と思いながらも、この4匹の幼虫を、どうしようかと2年生の息子と相談すると、「夕方に、近くの疎水にいる鯉にくれてやろう」と話しがまとまった。

サムライ菊の助「畑日記」を読んでると、最近のエントリでは、「アナグマに食われてジャガイモ全滅」とか、「キャベツはモンシロチョウの幼虫に食べさせる(一個は残してください)」などあるが、頭が下がる。しかし、本当はそれを「頭が下がる」と特別視せずに済む世の中になって欲しい。「アナグマに食われたぁ〜? そんなのよくある話しよ」なんてね。何しろ日本は世界で一番農薬を使う国だと言うことを忘れてはいけない。

話しをネキリムシに戻すが、来年は、定植前に、土を注意深くふるいにかけよう。家庭菜園とはいえ、自分ちの作物が深刻な害にあうと、つい「ここに農薬を使う理由があるな」と思ってしまう。ここで心を一度ニュートラルにしてから、今夕、鯉のいる疎水にカブラヤガの幼虫を投げに行こうと思う。2年生の息子は何を感じるだろうか。

最後に、このカブラヤガの幼虫について、とても分かりやすいサイトがあった。文末は、「まずは日頃畑に雑草を繁茂させないこと。繁茂したら、土中のネキリムシが絶食死するよう、除草剤を撒く」なのだが、ネキリムシについて、とてもよく分かったので、ご参考まで。

●カブラヤガ・幼虫はネキリムシの真犯人
http://www.foocom.net/column/pest/3668/

2015年5月15日金曜日

木更津の潮干狩り(おまけ編)〜渋滞とビール

木更津の潮干狩りについてのエントリが続いたが、最後におまけ編として、交通渋滞について。ピークと重なったときは、それはそれは大変なものだ、という体験談だ。

潮干狩り場の選択、当日の天候や料金など、潮干狩りの要素はいろいろあるが、特にゴールデンウィーク中の潮干狩りとなると、この渋滞の要素は重い。

私たち家族は、東京の立川出発7時半の木更津へのバスツアーだった。往復とも一番前の席だったので、添乗員がiPodでリアルタイムの渋滞情報をチェックしながら、運転手と相談しつつルート選択している様子が手に取るように分かった。いろんなルートがあるが、各分岐点の5分前ぐらいまで様子を見てから決めていた。

結局往路は、立川→中央高速→首都高・三宅坂→平和島→大師ジャンクション(で、わざわざ一度高速を降りて)→(あえて一番近くない入口から)東京湾アクアライン→木更津、のルート。大まかには、湾岸経由のルートもあったが、ディズニーランド渋滞がすごかったらしい。また出来たばっかりの中央環状線も通らなかった。何しろアクアライン経由で、まー何とか3時間半。その日は、木更津の浜に潮が満ちてくるのが午後1時半だったので、何とかギリギリ2時間の潮干狩りが出来た。復路の途中、添乗員からの情報によると、この日、都内発の日帰り潮干狩りのバスツアーで、4台のバスが、渋滞で干潮に間に合わず、潮干狩りが出来なかったとのことだった。それをマイクで客に知らせる添乗員は誇らしげだったし、私たちは「ラッキー」と思わないわけにはいかなかった。渋滞は、ときには潮干狩りが出来なくなるぐらい重い要素なのだ。

そして帰路。潮干狩り場の潮が満ちてきた1時過ぎから昼食をとっての3時ぐらい、つまり最も渋滞するであろうタイミングでの、東京湾アクアラインの入口。潮干狩りを終えた車を始め、大量の車がアクアラインに集中した。この渋滞が凄まじかった。渋滞に到着した直後は、30分してもバスは動かなかった。添乗員が「トイレが心配です」とマイクで言う。たまたまその道路の脇に量販店があり、乗客はそこのトイレを拝借となった。トイレへ行っても、何メートルしか動いてないから、よく言えば楽チンでバスに戻ってこれる。分かりますか。この渋滞は、アクアラインの入口を中心に、タコ足状のびているから、その末端はほとんど動かない。そして、少しずつ進み始めると、かなり徐々にではあるが加速度的に進む。そういうタイプの渋滞だ。そして1時間後、数十メートル進んだバスは今度はコンビニのすぐ横に。添乗員がそのコンビニにトイレがあるかどうかを事前にiPodでチェックしていた。「はーい、そのコンビニにはトイレがあるみたいです。行きたい方は必ず行ってください。今度はいつになるか分かりませんので」。私は、トイレ拝借後、マナーとして、アイスクリームを一個買った。

まー、こんな具合だから、気持ちとしては、「きょうは家に帰れるのかなぁー」っていう感じ。この潮干狩りを計画した当初は、自家用車で行こうと思ったが、渋滞が気になり、バスツアーに切り替えた経緯がある。そのときは、「自分で運転しなくていいんだ。ちょっとやそっと渋滞しても、ビールでも飲みながらダラダラしてたらいいや」などと考えていた。でも、それは全くの誤りだった。

まず第一に、通常は都内から1時間ぐらいのバスツアーのバスにはトイレがない。そして、ひどい渋滞と言っても、現実的には、可能性としていつ動き出すかも分からないという状況が続く。つまり、ビールなんてもっての他。酒類であれば、せいぜい蒸留酒をチビチビやるぐらいが関の山。でも、私の場合、蒸留酒をチビチビやると、水を飲みたくなるし、何しろ酔う雰囲気でもなく、酒類は飲めない。「ビールでも飲みながらダラダラしてたらいいや」なんて夢のまた夢だった。

・・・・てなことを思いながら、渋滞中のバスに乗っていたら、継続的に少しずつ動き始めた。東京湾アクアラインの入口が近くなってきた頃だった。帰路のバスに乗り込んでから、3時間以上が経過していた。出発してから2キロは進んだろうか。もうすぐ日も暮れる。アクアラインに入ると時速20〜30キロぐらいで動き出し、海ほたるへ入った。自家用車の長ーい車列を横目に、バスは大型車専用の駐車場に入れるので、スーイ・スイ。このときばかりは、バスでよかったと思った。

冒頭の写真は、海ほたるへ入る直前のアクアラインで撮った都心。砂漠の蜃気楼のように幻想的だった。でも、これを見るために連休中にアクアラインにのりたい程じゃぁーないが。

さて、ゴールデンウィークの干潮時に是非とも木更津へ潮干狩りに行きたい都内の貴方へ伝えよう。

1.最悪なのは、渋滞を考えずに自家用車で行くこと。
2.それよりは、バスツアーが楽。(クラブツーリズムの添乗員のお兄さんは、「潮干狩りは、バスツアーですよ」と自信ありげだった)
3.バスツアーでも、ビール一缶も飲めないのが嫌な貴方は、電車を考える。(私は経験がないが、すいてるハズはない。木更津駅からの渋滞には気をつけた方がいいだろう)
4.自家用車なら、思いっきり早くに出発し、潮干狩り場に一番に入り、一番に潮干狩りを済ませ、とっとと午前中などに帰路につくべし。無論、思いっきり早く出発したつもりでも、渋滞などに巻き込まれ、潮干狩り場に一番に入れないときもあるだろう。それが心配なら、木更津には、前日に到着し、一泊して、是が非でも一番に潮干狩り場入りをし、のんびり昼飯なんて考えずに、帰路につくしかない。

Good Luck.

木更津の潮干狩り(本編)〜貝の固まりと網袋

さてさて、先のエントリの続き、木更津の潮干狩りだ。私は小学生のとき以来なのだけど、そのときの経験を覚えていて、それが役に立った。今も昔も変わらなかった。それがよかったか悪かったかは別にして。

先のエントリ冒頭の写真のように、あれだけの人が潮干狩りをしているのだ。アサリ・ハマグリは自生ではなく、当然のことながら、人の手で撒かれているだろう。潮干狩り場の干潟に入った私たちは、まずは足下の空気穴がポツポツ空いているところを熊手で掻く。誰もが掘ったような場所だ。これを続けていると確かにたまに捕れるのだけど、たくさん捕ろうとしたら、こんなことしてちゃダメだ。私は、カミさんと子供2人をもっともっと人が来てないような入口から遠くの場所へと誘う。でも、3人は、たまに出現するアサリが嬉しいので、私に文句を言う。「私たちを置いて一人で勝手に行くな」と。それでも私は一人でどんどん遠くへ行こうとする。「こんなところにいては、MAXの6キロは捕れないぜ」と一人でも私はどんどん進む。バスツアーなので時間が限られている。特に、この日は、何でもない日なら東京から1時間で着くところを3時間半かかっている。とまぁ、欲と隣り合わせのストレスを感じながらも、帰り時間は迫ってくる。

そして、ついに、到着した。撒いたであろうアサリ・ハマグリの場所。それが冒頭の写真だ。分かりますか。この固まり。熊手が置かれているあたり。

もしも私がここで貝を撒く仕事をしていたら、どうやって撒くか、想像してみる。それは、潮が満ちて干潟に十分な海水が満ちてから、船で移動しながら撒くだろう。撒くときは、アサリやハマグリを一粒ずつ撒いていたら日が暮れる。おそらく、バケツのようなものに一杯にして、水を撒くようにバサーバサーと撒くだろう。ということは、そのバケツ分のアサリが固まっている場所がある、ということになる。それが上の写真なんではなかろうかというのが私の推測だ。そして、ひとつの固まりを見つけると、その2〜3メートル先には、また別の固まりがあったりする。おそらく次に撒いたバケツ分の固まりだ。

もう少し写真をアップにしよう。
もう、貝と貝がくっついてギッシリと砂に埋まっている。こうなるともう探す必要はない。この場所を見つけたら、ただただ貝を網袋に入れ続ければいい。

でもね。
そもそも潮干狩りってこういうものだろうか?

たまたま、この固まりを見つけた隣合わせた家族のお父さんが、「おーい、こっち来いよ。いっぱいあるから。どんどん捕れるぞー」と興奮気味に娘さんを呼んでいた。すると、彼女は、「えー、パパ、この貝おかしいよ。こんなに固まりになってるハズないじゃない。気持ち悪いからこの貝捕るの止めようよ」。そう言われたお父さんは「そぉかー」とか言いながらしばし捕り続けた後、残念そうにその場を立ち去っていった。

んー、難しい。「この潮干狩り場の貝は、みんな人が撒いたもんだよ」と、わざわざ子供に言うのもねー。かと言って、せっかく来たのだから、捕れるだけ捕ったるぞーという気持ちにもなる。少数でも「見つけた感」を大事にするか、ガッツリ捕って充実するか。裕福系の家族は前者であり、貧乏系の家族は後者なのかな〜。

うちの子供たちも、その隣合わせた家族の娘さんのように、固まりに着くと、それまでたまに見つけてたときの「見つけた感」は完全に薄れ、砂遊びを始めたりしている。まー、「気持ち悪いから止めようよ」とまでは言わなかったし、貧乏系のカミさんと私は、ひたすら貝を捕りまくった。「何のために来たのか? 子供たちが潮干狩りしたいって言うからさ‥‥」と自問自答をしながら。それでも時は過ぎ、バスに帰る時間が迫り、計測場へと向かった。そしたら、何と計ったようにMAXピッタリの6キロ。ああ、貧乏系の満足感。下の写真はその一部。これで3キロぐらいかな。
そして、下の写真が、翌日自宅で砂抜き中の6キロのアサリ(と、少しのハマグリ)。塩はもちろん「カンホアの塩」。きっちり計って、海水と同じような3%の濃度にする。
活き活きと潮をピューピュー吹いてるアサリたちを見ていると、子供心が湧いてきて楽しくなる。似ているが、ひとつひとつ違う柄なところがたまらず、見ていて飽きない。まるで公園の鳩の群れのようだ。中にはカタツムリのように歩いてるアサリもいる。ちなみにこのステンレスのボウルは業務用で、直径70〜80センチほどある。一家族にとって6キロは大量だ。一家族だけで食べるなら、大きめの冷凍庫が必要になるだろう。我が家は、ここぞとばかりに、近所にお裾分け。連休中だったが、運よく、隣近所の多くが出掛けていなかった。もちろん生き物だ。今回はたまたま近所が在宅だったが、たくさん捕る気で潮干狩りに行くのなら、あらかじめお裾分け先に当たりをつけておいた方がいいかも知れないと思った。

そしてレアなハマグリはこれ。
こうしてじっくりと見てみると、「ハマグリ」は、「浜栗」から来てるのかと思った。よーく見ると形はアサリとは明らかに違い、栗のような形をしている。ご覧のとおり貝の柄もアサリとは異なる。また、ややスベスベした手触り。

さて、話しは潮干狩りだ。そう忘れちゃいけない、この6キロをクーラーボックスに移した後、海水を入れるのだ。カートがなく、15〜20キロぐらいになったクーラーボックスのベルトを肩に掛け、ひたすら高く長い橋を上り、歩いた。私は4〜5度は休憩したな。天気がいいのも考えものだと、汗をぬぐう。

ところで、橋を越えてからバスの駐車場への短い道の端で、地元の人たちが潮干狩りグッズを露店で売っていた。行きしなにもここを通ったのだが、そのときは、橋を越えたところの潮干狩り場の入口に、レンタルの熊手があって、捕った貝を入れる網袋も売っていると聞いていたので、この露店は素通りした。でも、その網袋がとってもオシャレだなと思った私は、潮干狩りが終わったこの帰りしなに、この店に立ち寄った。
上がそのオシャレな網袋の写真。左が、潮干狩り場入口で買ったもの。そして、右がその露店で買ったもの。どちらも同じく200円。右の方が断然しっかりしているのが写真でも分かると思う。私たちは左の華奢な方を実際に使ったのだが、貝で満たされた網袋は破けた。右のしっかりした方だったら破けなかったかも知れない。

で、どっちにしてもこのエンジ色の網は、昔はえらく普通に漁村にあったものだが、最近はとんと見かけない。また、その網に付けている竹を編んだ輪っかも趣がある。すっかり気に入った私は、店のオジさんにそのことを尋ねた。すると「そうなんだよ。これは昔使っていた網でね。今じゃ使ってない。で、この網袋は、(潮干狩り用に)特注で作ってもらってるんだよ」とのことだった。潮干狩りは終わったものの、こういうのを見つけると、どうしても買いたくなる。潮干狩りとは別の使い方を考えるのが好きだ。例えば、庭で摘んだハーブ類などをこれに入れて、ぶら下げておけば、うまく乾燥できそうだし、旅行用の小物入れにもいいかな‥‥、てなこと考えていたら、バスの出発時間が迫ってきた。バスの前で添乗員のお兄さんが手招きしてる。バスに急ぐ。

次は渋滞編。考えようによっては、ゴールデンウィーク中の木更津の潮干狩りは、これが一番のキモかも知れない。