2015年11月18日水曜日

久しぶりの、もんじゃ

先週、久しぶりに月島でもんじゃを食べた。月島のもんじゃは、20年ぶりぐらいだろうか。もんじゃを語らせたらうるさい妹と行った。彼女と二人きりで外食なんて今までなかったかも知れない(もんじゃを含めて)。特に確かめたことはないが、私たち兄妹は、普段はお互い「元気でいてくれれば、それでいい」という感覚で、あえて二人で外食なんて考えもしなかったのだが、今回は、図らずも、親父の病気のことで、この機会になった。

さて、行った店は、「いろは本店」。本店ということは、系列の店が他にもあるということだが、昔、「いろは」は、現在「月島もんじゃストリート」と呼ばれる商店街から車も入れないような露地を入った右側にひっそりと佇んでいた。妹のように頻繁に通ったわけではないが、木造2階建てぐらいの建物だったように記憶している。今は、メインストリート沿いのビルの2階で、「本店」だ。とは言え、オーソドックスなもんじゃを食べたいときはここがいいという、妹の談。

路地裏にあったときは、いかにももんじゃ屋のおばさんといった感じの人がお店を切り盛りしていたが、今の「本店」では若い男性2人と女性1人がやっていた。妹の注文は、「生イカもんじゃ。トッピングにソバ(焼きそばの生麺)とベビースターラーメンとチーズ」。私は、久しぶりのもんじゃをもう少しシンプルに食べたかったので、妹の注文から生イカとチーズを省いたもの。

私たちは、その二つを一緒にでっかく焼いて、「生イカ・チーズ」がある部分と無い部分を作ろうと思っていた。が、お店の若い男性店員は、気を使ったのか、注文した二つのもんじゃを時間差で持ってきた。最初の一つを無造作に鉄板に広げた私たちは、それがどっちだったか分からなくなってしまった。そこで、妹は「この最初のはどっち?」ときいた。そしたら、「あっ、焼き方だったら、テーブルの隅に説明書きがありますので」と、彼は勘違いして、妹が焼き方をきいていると思った。その質問は定番なのだろう。そこで妹は、きき直して、結果的にどっちだか分かったのだが、その店員が去った後、「あたしゃアイツが生まれる前からもんじゃ食べてるのに、私に焼き方を教えようとは、10年早いぜ」と私に呟いた。彼女は、そんなに喧嘩っ早い方ではないが、「下町の女だな」と感じた私は、妙に嬉しかった。

私にも、似たような経験がある。今は、すっかりチェーン店になっている、洋服屋のBeamsやSHIPSは、私は18歳頃から(つまりは35〜36年前)から通っていた。当時、Beamsは原宿の明治通り沿いに1〜2軒、SHIPSも銀座の裏通りと、渋谷の元ミドリヤのビルの裏の計2軒だけ。背伸びしたかった二十歳頃の私は、しばしば無理して5万円もするイギリス製のパーカーなど買ったものだ(今でもそれはクロゼットの中にある)。最近、そんな店でズボンを広げて見てたりしてるとき、若い店員さんに、「このパンツ(ズボン)は、お客様がお召しのようなソックス(靴下)ではなく、こういった(自分のズボンの裾をめくりながら)丈の短い(いわゆるスニーカー)ソックスを合わせてみてください」なんて言われると、「オレは、そーいう短い靴下が嫌いなんだよ。別に、(このズボンに)丈の長い靴下はいたっていいじゃねぇーか。オレは、お前さんが生まれる前から、(初期の)この店に通ってんだよ。お前さんにガタガタ言われる筋合いはねぇ。好きにやらせろ」と言いたくなる。繰り返す。「言いたくなる」のであって、言う訳ではない。アドバイスを怠らない親切な店員だ。

私たちが子供の頃(45年ぐらい前)、月島は知らないが、当時の私が知る限り、もんじゃ屋さん(専門店)というものはなかった。そして、もんじゃは子供だけの食べ物だった。私が育った江東区には(月島は中央区)、各小学校の圏内に駄菓子屋さんが2軒ほどずつあり、その駄菓子屋さんの3〜4軒に1軒ぐらいに、もんじゃを食べられる駄菓子屋さんがあった。その駄菓子屋さんの片隅にはお好み焼きの鉄板がある小さめのテーブルが大概一つだけあって、店の人にもんじゃを注文すると、小学校ではうがい用に使われていたブルーやピンクのアルマイトの取っ手付きのコップに入った具材(少量の刻んだキャベツ入り)が出てきて、それを熱い鉄板に広げた。一つ30円ぐらいだったか。大盛にすると、白いドンブリに入ってきて、50円だったような‥‥。当時の小遣いは、一日10〜20円ぐらいだったから、ちょっと貯めれば食べられた。そして、駄菓子屋さんだから、ベビースターラーメンや、よっちゃんイカなんかが近くにあって、多めのカネを持ってる子供は、オプションでそれらを加えた。もんじゃを食べ終わった後、テーブルの上のソースを鉄板に垂らして「ソースせんべい」とか言ってると、お店のおばさんに怒られたな。

実は、私たちが通った小学校の圏内にはもんじゃのテーブルがある駄菓子屋さんがなかったので、自転車でやや遠出して食べに行った。言わばよそ者だったので、たった一つのテーブルが、(特に上級生に)占領されていると、その日は諦めて、遠路を帰った苦い思い出もあるが、今の子供からしたら、羨ましいだろうなとも思う。

さて、45年の時は過ぎ、ここは月島。二つのもんじゃが時間差で出された都合上、鉄板上でも二つに分かれてしまったのだが、それらをつつきながら、妹に焼き具合の好みをきいてみた。思いの外、結構しっかり焼くのが好みだった。私は、もう少しレアな方が好きなので、それを言うと、「このソバ(焼きそばの生麺)にしっかり火が通らないとマズイでしょ。(ドロドロの)もんじゃの生地を通って、ソバに火が通るのには少し時間がかかるから、少ししっかり目に焼いた方が、私は好きなんだよね」と、もんじゃ用のコテで焼き具合を確かめながら主張した。

特に旨いもんじゃない。そして一人で食べるもんじゃない。もんじゃ用の小さなコテでアツアツのもんじゃをハフハフせっかちに食べながら、おしゃべりしてると、ゆったりコーヒーを飲みながらする話しとは別モードの楽しさがある。私にとって、今やもんじゃは、小さかった子供が大きくなって食べる大人の食いもんのように思えた。

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