2014年7月30日水曜日

「完熟手もぎ梅」の土用干し

真っ赤な梅干し。

「冷し中華、始めました」・・・・じゃなかった、
「土用干し、始めました」。

さて、先のエントリ、「オフグリッド・ソーラーシステム」の続きは、また後日になっちゃうが、きょうは、「梅酢は上がったけれど(14年6月19日)」の続き。

「完熟手もぎ梅」を漬けた梅干しの土用干しをきょう行った。

6月16日の洗わない「完熟手もぎ梅」で、「完熟手もぎ梅」のことをこう書いた。

木になってる梅を注意深く観察し、「そろそろ落ちるな」という梅を、ひとつひとつ手でもいで収穫した梅。

つまり、地面に落ちてないから「洗わずに済む」→水を使わないから「カビが生えにくい」とのことで、初めて梅を洗わずに仕込みスタート。結果、見事にカビは一粒も生えなかった。そしてきょうから、冒頭の写真のように土用干し。

梅酢は上がったけれど」のエントリでも書いたが、写真の梅干しは、赤ジソも使っているので、カビが生えずに済んだのは、「完熟手もぎ梅」のせいだけとも限らない。私はこれまで、16年ぐらい毎年梅干しを仕込んでいるが、カビが生えたのは、2回ぐらいだけだから、そうそうカビにやられることもないことだし・・・・。

しかーし!

梅がおいしい。
土用干しの準備で、梅をザルの上に並べるのだが、そのとき思わず一粒口に入れた。おいしい。まだ浅漬け感覚ながら、浅漬けならではのジューシーかつフルーティー。「これが梅の味ですよ」という主張。梅は果物だということを思い起こさしてくれた。

これが一年たって、全体の味が馴染んでくるとどうなるだろうか。当然のことながら、3日間の土用干しを終え、瓶にしまうときも、もう一粒食すだろうなー。

という訳で、「完熟手もぎ梅」の「カビの生えにくさ」を計ることは難しいけど、完熟ならではのおいしさは、しかとあります。ちなみに梅の品種は、生産者の菊の助さんによると、「田中梅というらしいです」とのこと。大粒で果肉たっぷり、皮は薄いということからは、南高梅に近いと思う。

実は、数年前、菊の助さんではない梅の生産者の方から、「完熟梅」を送ってもらって梅干しを仕込んだことがあった。今にして思えば、地面に落ちた梅も混じっていたことでしょう。それはともかくとして、その梅が届いたとき、傷んでいた梅はひとつもなかった。そして、菊の助さんに送ってもらった「完熟手もぎ梅」は、5つばかり傷んでいた。「5つ傷んでいた」は、ネガティブにも解釈できるけど、私は違う。

それだけ、完熟の度合いがMAXに近い梅を送ってくれたと思うからだ。完熟MAXの梅は翌日にも傷み始める。箱詰めすれば、当然箱の底の梅は押されるし。それを知ってる菊の助さんは、私の注文した分より多めに送ってくれた。だから、傷んでた5つを除いても、注文した目方より多く残ったのだ。また、菊の助さんからの便りによると、

「うちの梅は、低木栽培なので、手の届くところに梅が生っていますから、手もぎが可能なんです。梅は切っても切っても、枝が茂り、かなり生命力が強い樹です。100年ものもざらにあります」

枝を手入れして、低木に保つことで「手もぎ」を可能にしている。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とは言うが、果物の木は手がかかる。

そして、冒頭の写真の梅干し。ずいぶん真っ赤に染まっている。今年、新たな試みをした結果だ。塩もみした赤ジソを梅に加え、重石を半分以下にして本漬けをスタート。これまでは、その重石をとってそのまま土用干ししていたが、今年は、土用干しの2日前に重石をはずして、押された梅を漬け汁の中で泳がせて置いてみた。ちなみに梅酢から取り出したばっかりのこの段階では、このように派手な赤だが、土用干し終了の3日後以降は、落ち着いた赤になると思う。

毎年、同じように仕込む梅干しだけど、毎年新たな発見もある。これだから、梅干し作りはやめられない。

参考エントリ:洗わない「完熟手もぎ梅」(6月16日)
参考エントリ:梅酢は上がったけれど(6月19日)

2014年7月26日土曜日

オフグリッド・ソーラーシステム

「オフグリッド(off-grid)」とは、電力会社の送電系統と繋がってないという意味。独立した発電&蓄電システムです。それのちっちゃいのを、DIY感覚で作るワークショップに先週末行ってきた。

まず最初に、私は電気関係に疎い。電気にはプラスとマイナスがあって、これらが接触するとショートする、ぐらいしか知らない。これじゃダメだ。このダメから少しでも脱し、大ざっぱにでも全体を把握しなくちゃいけない。そう思って、このワークショップに参加したのだが、それには自分の中にやや特別な理由がある。

私はベトナムのカンホアというところで、「カンホアの塩」という天日海塩を作っている。独自に考えた専用の塩田を作って、そこで熟練したカンホアの塩職人の方々にお願いして作っている。その塩は、海水を天日で濃縮して作っているから、塩を作ること自体、また乾燥させることには燃料・電気は使っていない。だが、その専用塩田の周辺設備では若干の電気を使う。

天日で塩作ってんだから、電気だって天日で作れないものか?

と、思い始めて数年たつ。
その設備で使う電気。具体的には、ポンプと石臼が電動。倉庫内の蛍光灯。選別や袋詰め作業所の蛍光灯・扇風機・シーラー(熱線)だ。「カンホアの塩」の専用塩田とそこに隣接するこれら設備は、一番近い人家からも1キロ以上離れているので、長々と電線が敷かれている。その電線を見上げながら、「あー、この電線がなくなったらなー」と、思う。

そこで、オフグリッド・ソーラーシステムとなるワケ。

話を先週末のそのワークショップに戻そう。

このワークショップの先生は、オスカープロジェクトの新ケ江氏。場所は、「カンホアの塩」の【石窯 焼き塩】の石窯を設計・施工・焚き方指導をしてくれた陶芸家、黒澤有一氏の自宅。そして先生が揃えてくれたものは、以下のとおり。

●ソーラー充電コントローラー
CML05-2.2(秋月電子通商)
●完全密封型蓄電池(バッテリー)
12V12Ah #250ファストン端子タイプ(秋月電子通商)
●太陽電池モジュール単結晶ソーラーパネル20W
●LED電球(電球60W相当)
12V-DE26-60WLR
●その他
キーソケット、ヒューズホルダ+ヒューズ、電線、コネクター、端子類

以上で、60W相当の電球を、使うことが出来る。
ちなみに、上記キッド一式の合計のお値段は、15,000円。

電線の皮を剥き、端子を圧着工具でつけ、配線し、完成する。器具はもちろん、工具類もあらかじめ用意して頂いてのワークショップ。ずぶの素人な私に先生は丁寧に教えてくださり、3時間後、何とか完成した。

我が家には、居間から庭への張り出しがあるので、この電球をその張り出しの下に据え付け、屋外の照明として使おうと思っている。そして、当たり前ながら、これらのキッドをそのままベトナム・カンホアへ持って行けば、この電球を照明として使えることになる。

まずは一歩。「カンホアの塩」の塩田で、塩だけじゃなく電気も作って、その設備周辺の全てのエネルギーが完結する日を夢見ている。

今回、このワークショップに参加して、若干ながら電気のことを勉強した気になったが、それと同時に、新たなハードルも見えた。それはまた後日のエントリで。

★関連エントリ:
ソーラーシステムの現実(2014年8月11日)

2014年7月8日火曜日

景品表示法と「東京ブルース」

先週、「メニュー・料理等の食品表示に係る景品表示法上の考え方について」という冊子が、「事例でわかる! 景品表示法」というガイドブックとともに届いた。どちらも消費者庁の作成。言わずもがな、数ヶ月前に騒がれた、ホテルのレストランのメニュー偽装を受けてのことだろう。

この中のQ&Aには、下記の類のことが「これでもか」と丁寧に書かれている。

質問:飲食店でブラックタイガーを使用しているが、車エビを使用している旨をメニューに載せても景品表示法上問題ありませんか?

答え:問題となります。
「答え」の下にある「説明」の欄には、「ブラックタイガーと車エビは異なるから」の説明が詳しく書かれている。

ところで、50年ぐらい前の日本の流行歌で、「東京ブルース」というのがある。歌は西田佐知子、作詞は「アカシアの雨がやむとき」の水木かおる。(私は西田佐知子のベスト盤CDを持っている) それで、この「東京ブルース」の中に、下記のような歌詞がある。

「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった」

何と色っぽい詞なんだろう・・・・心にしみる。

●youtube 「東京ブルース 西田佐知子」

そもそも「だます・だまされる」はいつの世にも、世界中どこにでもあることだ。無論「だます」ことは悪いことだけど、そんな小学生でも分かる善悪を越えた思いが西田佐知子のけだるい歌声にのり、私の心にジーンとしみ入る。景品表示法とは全くもって別世界だ。とは言え、私はふと思う。

「東京ブルース」の時代が豊かだったのか、それとも今が貧しいのか。

ここで少し、ブラックタイガーを車エビとメニューに載せることに決めた人のことを想像してみる。そのレストランは、だいたいは大手のホテルだ。上司や経営者に「もっと売上を伸ばせ」とか、「原価を下げろ」とか言われてたのかな。または、いいとこ見せようとつい出来心で「車エビ」と載せることにしたのかな。または、ただただ「分かりゃしねーよー」ということか。いずれにしても、客がなめられていることに変わりはない。

いっそのこと、「嘘・偽装はアリ(合法)」ということにしたらいいんじゃないかとさえ思ってしまう。なぜなら世の中、嘘・偽装だらけになれば、必然的に真実を見極めようとする意識が育まれるから。今の日本はその意識があまりに薄く、「何か別のもの」に頼っていることが多過ぎる。だから、嘘や偽装がはびこってしまうとも思えるのだ。(「だまされる方が悪い」という意味ではない、念のため)

私にとって、料理で一番大事なことは、「おいしい」こと以外にない。「身体にいいもの」はおいしいと思っているからだ。例えば年齢とともに食の好みが変わるのはそのせいだと思う。ただし、頭や舌先だけではこの「おいしい」にはたどり着けない。身体の「おいしい」のみたどり着ける。なぜなら、頭や舌先は身体の一部でしかないからだ。

「ブラックタイガーでも料理法によっては車エビよりおいしくなることだってある」。こういうことがあると決まってこういう主張が出てくるが、そーいうことじゃなくて、自分が「おいしい」と感じるものを食べようよ。そして、そのためにどうしたらその「おいしい」を食べられるかに思いを馳せてみようよ。人は皆、身体も違えば環境も違う。だからその答えは、自分自身の中にしかない。「何か別のもの」にはないのだ。

はっきり言って、景品表示法と「東京ブルース」を同じ土俵にのせるのは間違っている。それは「東京ブルース」に甚だ失礼だ。繰り返すが、「東京ブルース」は流行歌。市井の人々の間で流行った曲だ。今の日本で、「どうせ私をだますなら・・・・」なんて歌ったら逮捕されちゃうのだろうか。