2013年8月22日木曜日

710円の水筒パッキン


先日、小学3年生の娘の水筒が漏れていた。彼女はしおらしく「横にしなければ、大丈夫だけど・・・」なんて言ってる。見てみると、あるハズのパッキンがなくなっていた。「横に出来ない水筒なんて、水筒じゃない」と、水筒を洗う流し台周辺や保管する引出など、落ちていそうなところを探したが見つからない。

そして私はパッキンを探しに、まずはその水筒を購入した量販店に行ってみた。購入は3年ほど前だったが、その売り場に、同じ水筒は消えてきた。水筒売り場に隣接した水筒の付属品の売り場には、そのとき売り場にある水筒の交換用キャップなどは少しあったが、どの水筒用でも、パッキンまではなかった。店員さんに尋ねると、

「パッキンは、お店には置いてないんです。でもネットなんかでメーカーに直接注文できます。送料を含めて500円ぐらいするかも知れませんが・・・・」

とのこと。
帰宅後、改めてパッキンのないその水筒をよくよく眺めてみた。3年使っているから、肩にかける紐は薄汚れ、水筒本体の所々もキズが目立っていた。でも、パッキン以外、水筒としては立派に機能を果たしているから、とてもこれを捨てる気にはならない。

「よーし」と、気を取り直して、私はパソコンに向かった。その水筒のメーカーは、サーモス。最初は、楽天やamazonをみたが、あまりにパッキンの点数が多くて、どれが欲しいものだか分からない。

次に、サーモスのサイト。
トップページから、「交換部品販売」のタグが見つかり、クリック。思いの外、簡単に目当てのパッキンにたどり着いた。値段は、210円とある。

「おっ、思ったより安いな」と思ったのもつかの間、購入のための住所入力など進んで行くと、別途送料が350円かかることが分かった。

「ん〜、560円かー、これが店員さんが言ってた『500円ぐらい』ってことだな」と
さらに支払い方法のページなった。クレジットカード等々あったが、560円のものに自分のクレジットカードの番号を打ち込むことに抵抗を覚え、コンビニ決済にした。すると、コンビニ決済の手数料150円がさらに加算された。締めて710円也。

30秒ほど考えた末、購入を決定した。
数日後、手紙のような封筒に入ったパッキンが宅配便で届いた。
メール便で十分のように思えたが。
それが冒頭の写真のパッキン。

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たぶん2,000円ぐらいの水筒だったと思う。
いろいろな思いは交錯するが、710円でパッキンが入手出来たことに、私は喜んでいる。それを最初に言いたい。

ただ、愚痴もある。それは、「パッキンごときになんで710円も払わなにゃならんのだ!」ということだけでなく、今の世の中、(水筒に限らず)新しい商品が出過ぎていることに対してだ。

その新商品がちゃんと進化を遂げていての新商品ならいい。水筒を例に挙げてみよう。私が子供の頃、まずはキャップが甘い「少し漏れる水筒」からちゃんと密封できる「漏れない水筒」へと進化した。そして「魔法瓶」の登場。当初の「魔法瓶」は中がガラス製だったから落とすと割れた。そして表れたのが中が金属製の「魔法瓶」。そして今に至る。このぐらいの進化なら立派な新商品だと思う。

しかし、最近の新商品は、大して使わない機能が付いたり、商品に付いた絵柄や色が変わっただけだったり、「これでわざわざ新しくしたの?」としか思えない新商品が何と多いことか。そう感じたことはありませんか? この水筒もそうだが、家電品なんかもその代表例だと思う。たとえちょっとした違いでも、新商品が出ると、ちょっと前の多数の商品は、「古い商品」になっていく。そして今回のように、簡単な交換部品でさえ、購入したお店で求められなくなる。

メーカーにとって、たとえ「大して使わない機能」にしても、新しくすればそれなりのコストがかかる。その分は折り込み済みだとしても、やたらと新商品を出す理由は何だろう?

メーカー側にも言い分はあるだろうが、たいした進化はなくとも、「新商品」のラベルが付くと、売り場に並びやすい、またいい場所に並びやすいなどの理由があるのだろうか、また「新商品」のタグが付いた商品を、消費者はその意味は分からずとも好んで買うのだろうか、などと勘ぐりたくもなる。もしそうだとしたら、それはメーカーの「商品開発の努力」というより、「何とか売るため」という理由に過ぎないのではなかろうか、と思ってしまうのだ。

710円は、パッキン単品の妥当な価格とは思えないが、そのせいで、新しい水筒を買う人が少なからずいたとしたら、また交換部品など手に入りにくい世の中にどんどんなって行くとしたら・・・・そう想像するとゾッとする。それは歪んだ世の中と思う。私の愚痴は、その懸念だ。

そういう愚痴を発する消費者側の私がとれる策は、この手の交換部品が必要になりそうな商品の場合は、あらかじめ下調べするなどだ。とは言え、水筒ぐらいのことで、現実的にそこまで気が回せるだろうか・・・・自信がない。となると、やっぱりメーカーに頼らなくてはならないのか。

「この商品の交換部品は電話一本で安価で入手できます」
「このモデルは、絶対の自信作。10年以上の定番保証」

みたいな宣伝文句の現実性はあるのだろうか? もしあれば、10%ぐらい割高でもそれを選ぶんだけどなー。聞こえてますか?

2 件のコメント:

けいこ vanda+わた さんのコメント...

日本での生活でうーんと思ったのが、だれもかれも、この新しい商品はどうでしょう、いいでしょう。買いませんか!!といっているような品揃えの毎日。
わたしはパッキン買いたいです。
(いま、5年ぶりnha trang長期滞在中です)半定住生活(つまりはさまよっています)をこの8ヶ月くらい続けているので、何か買うときはこれ一緒にもっていけるかな、それともおいてく?と自問しつつの毎日。おいしいcafeと魚を食べて、夕方海で泳げば一日が終わるここのみんなはとても幸せそうです。

下条剛史 さんのコメント...

> けいこ様 vanda様 + わたる君

いや〜、あんまり久しぶりで、まずはビックリ。

外から日本を見るとよく分かりますね。それが日本では当たり前というか麻痺している気がします。ただ、こういうことは長くは続かないと思います。要らないモノを増やしてまでの経済成長よりも、不要なモノをなくしていく暮らしの方が心地よいから。

ところで、今年、1月と5月はニャチャンに行ってたのに。再会を楽しみにしてます。亘君は6歳になったのかな?