2013年4月19日金曜日

ホワイトアスパラとグリンピース


「缶詰と生でこんなに違っていいのか!」

と、私が感じる双璧が、ホワイトアスパラとグリンピースだ。
それは時代もありました。

私の幼少時代(45年前頃)、私のおじいちゃんはホワイトアスパラが大好物だった。今のように生では売ってない。缶詰だ。缶切りで細長い缶を開け、トロトロ のホワイトアスパラを箸でとってそのままを旨そうに頬張っていた。「タケシ、お前も食べろ」と言われて何度か食べたが、ダメだった。その臭いがダメだった。たぶん缶の臭いだったと思う。だから、「何でおじいちゃんはこんなのが好きなんだろう?」とずぅーっと疑問だった。おじいちゃんちでなくても、当時アスパラと言えば、イコールこの缶詰のホワイトアスパラだった。おぼろげな記憶ながら、グリーンアスパラさえ生はなかったように思う。

また、その頃の我が家の家業は、中華料理店だった。缶詰のグリンピースは、チャーハンの中に混ざっていたり、またあるときは芙蓉蟹のあんの上にポツンと2〜3粒、飾りでのってたりしていた。そのグリンピースがあまりに味気なく嫌いだった。これはホワイトアスパラと違って、特に誰かにおいしいとすすめられたワケではない。ただ、当時としては、ホワイトアスパラと同様、グリンピースも「こういうもの」だと思っていた。

しかし、おそらく20年ぐらい前からは、どちらも普通に生で買えるようになった。昔の缶詰とのギャップも手伝ってか、どちらも何とおいしいこと。初めて生を調理したホワイトアスパラやグリンピースは、まさに「目から鱗」のおいしさだった。45年前との比較だから、今の缶詰はもっとおいしいのかも知れないけれど。

チャーハンのグリンピースは、飾り程度か少しの食感のアクセントだったと思う。でも、缶詰のホワイトアスパラについては、この歳になってふと考えるときがある。もしおじいちゃんが、缶詰より先に生を調理したものをどこかで食べていて、後から缶詰を食べるときにそれを思い出しながら食べてたかも知れないと。でなければ、あんなに旨そうに食べただろうか? と思うからだ。さらに、もしそうだとしたら、当時としてはそれはかなりレアなことだったハズだから、それはどんな特別な事情があった んだろう・・・・、と妄想するのだ。

こないだ、一週間前、デパ地下でホワイトアスパラを見つけて、思わず買ってしまった。先述の缶詰とのギャップもあるが、私が高校一年のときに亡くなったおじいちゃんのことを思い出すということもある。

グリンピースもそろそろ出始める。何とか、死ぬ前までに、少なくとも缶詰で食べた以上の量の、生から調理したものを食べないと、ホワイトアスパラとグリンピースに失礼だ・・・・なんて食い意地を張りたくなるぐらい、今は好物だ。

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