2013年3月19日火曜日

牛を語らずしてヨーグルトは語れず

前回のエントリで、玄米豆乳ヨーグルトを仕込むのは、「35℃で8時間」と書いた。それは特に豆乳ヨーグルトというより、普通の牛乳のヨーグルトの適した温度と時間だ。この「35℃で8時間」。ちょっと思い当たることがあった。豆乳ヨーグルトからはちょっと脱線するが、冒頭の写真はそれに関係している。それは、インドだ。

私は昔しばらくインドを旅していたことがあったので、個人的に「インドだ」なんだけど、ヨーグルト文化が色濃い中央アジア界隈も似たようなことだと思う。しかし、インドが中央アジアと違うのは、ヨーグルトを作るミルクを出してくれる牛は、インドでは神格化されるぐらいとても特別な存在だということ。平たく言えば、とても大事にされていて、ご存じのとおり、町中でも自由にたくさんの牛がウロウロ歩いている。

テーマはヨーグルトなんだけど、「牛乳を語らずしてヨーグルトは語れず」、さらに「牛を語らずして牛乳は語れず」ということで、牛、それもインドの牛のことを書いてみたい。

インドの町でウロウロしている牛は、一見、野良牛のようだが、全て飼い主が決まっている。つまりは放し飼い。日中は町をうろつき、例えば、野菜市場へ行き、残った野菜の端切れを食べたり、例えば、大八車のバナナ屋へ行き、客が食べ終えたバナナの皮を食べたり、もちろん好きな草が生えてるところへ行って、草を食んだり。変な話だけど、飼い主が飼料をあげてるところを見たことがない。喉が渇けば、水たまりの水を飲むこともあるけれど、例えば町中の水道の蛇口の脇へ行き、物欲しそうな目で辺りの人間を見る、なんてこともある。例えば近くを通りかかった私は、蛇口を開けて水を出す。牛は太い舌をベロベロ出して水を飲む。私は蛇口を開けた責任があるから、牛が飲み終わるまで待ち、飲み終わったら蛇口を閉める。町中をウロウロする間、当然ウンチもする。牛は草・野菜しか食べないせいか、そのウンチはたいして臭くもなく繊維質豊富。子供たちはこのウンチを集めて、素手で平たい円形に形を整え、陽当たりのいい壁などに貼り付ける。炎天下でカラカラになったウンチは、よく燃える炊事用の燃料として七輪で焚かれる。また、その煙は、蚊取り線香にもなる。

スペインでは闘牛があるが、きっとそれは無理矢理そこまで牛を怒らせないとああはならないと思う。インドの牛はとても温厚な性格で、普段人間に危害を加えるようなことはない。しかし、私にはこんな経験があった。

インドのある町のとても狭い路地でのこと。正面から牛が私の方へ向かって歩いてきた。私も牛の方へ歩いている。道幅は1メートルぐらいだったから、お互いがやっとすれ違える程度。普段なら、そのまますれ違うのだけど、そのとき私は一瞬だが、「怖い」と思った。その瞬間、牛は頭の角を私に向けて一振りした。攻撃というより牽制だ。牛が本気なら私なんかひとたまりもない。角がちょっと手にぶつかったぐらいのことだったが、それで私は何かを学んだ気持ちになった。地元の人たちはどうしているかというと、いくら狭くても(怖がることなく)普通にすれ違うか、やや気性の荒い牛だなと感じると、その頭や角を手で軽く押さえながらすれ違う。実に自然な振る舞いだ。何しろ一番大事なことは、「怖がらないこと」。よっぽどでない限り、不思議とそれで問題ない。自分が怖がるとそれを感じた相手も警戒する。自分が怖がらなければ、相手も警戒しない。私はこれを「学び」と感じた。

ヒンズー教で、牛は神様(シバ神)の乗り物であり、牛自体を神様とあがめている人も少なくない。また、ヒンズー教徒は、ベジタリアンが多いので、ミルクや乳製品は重要な動物性タンパク源という面もある。

それにしても、インドの牛と人間の関係は、何と見事なのかと思う。今どきの言葉で言えば、見事な「持続可能&循環型」だし、この関係においては、あの忌々しい狂牛病とも無縁の世界。(ヒンズー教徒はそもそも牛肉を食べないが、イスラム教徒など他の宗教の人たちは牛肉を食べることもある) 本来草食の牛に、肉骨粉や牛の汁をエサとして与えたのが原因とも言われる狂牛病の発祥地となったイギリスは、つい数十年前までインドを統治していたという歴史も何の因果かと思ってしまう。

いや〜、脱線しまくっちゃったけど、「35℃で8時間」のヨーグルトだよ。

かなり大ざっぱだけど、インドの気温は35℃ぐらいだし、暮らしの中で牛の乳を使う方法からしても、8時間というのはピタッとくる。

日中町中をウロウロしていた牛たちは、日が暮れると自分ちへ帰る。そして、朝、飼い主は乳を搾る。そのミルクは自家用の他は、極めてローカル(ご近所)に売られる。主な用途はチャイのミルク。そして、パニールと呼ばれるカッテージチーズ(牛は神様だから、レンネットは使わない)、ギーと呼ばれるバターのようなもの、そしてもちろんダヒ(ヨーグルト)にも。

インドでは、ミルクを冷たくしては飲まない。加熱したとしても、それを冷やして飲みもしない。チャイなどで、飲む直前に必ず加熱しアツアツで飲むか(まれにホットミルク)、ヨーグルトやパニールなど発酵食品に使われるかどちらかです。日本のインド料理店では、冷たいチャイがメニューにあったりするが、インドでチャイは季節を問わず必ずホットだ。

35℃で8時間。

朝絞った乳は、最初はミルクとしてチャイなどに使われるが、その日の夕方など「きょうはもうミルクとしては使わない」となると、素焼きの鉢に入れ、ヨーグルトの種菌(前回の残ったヨーグルト)を加え、よーく混ぜ混ぜする。北インドの冬は平地でも冷え込むが、一番涼しい時期でも日中は25℃ぐらいにはなる。一年を通じて、平均で30℃から35℃ぐらいだろう。そして、夜仕込まれたヨーグルトは、翌朝にはヨーグルトになっている。その時間がだいたい8時間。素焼きの鉢に入っているから、気化熱でヨーグルトは冷たくなり、余計な水分も抜けしっかり固形化する。当然のことながら、ヨーグルトになれば、しばらく日持ちする。

こうした結果、放し飼いでストレスが少なく、(人工飼料などではない)いい食生活をしている牛のフレッシュな非加熱のミルクが毎日入手出来ると同時に、冷たくしっかり固形化したヨーグルトが毎日どこかで出来上がっている。ヨーグルトはもちろん、ミルクの加熱も最小限だから、日本で食するミルクとはひと味もふた味も違う。

以前のエントリで、冷蔵庫のないベトナムの食生活について(下記リンク参照)書いたことがあるが、ここでも同じ。おいしいものを飲み食いするには、冷蔵庫はかえってない方がいいかも知れない。

●ベトナムの普通の市場(2009年6月5日)

最後に、冒頭の写真のステンレスの容器について。これは私がインドを旅していたときに使っていたミルクポット。容量が、すり切れ1杯でちょうど1リットルなので、簡易計量カップにもなっていた。これを持って生ミルクやヨーグルト、パニールを買いに行くのはもちろん、自炊しながらの旅だったので、あるときは鍋になったり、飯ごうになったりもしてた、超スグレモノだ。

あ〜、またインドをゆっくり旅したくなってしまった。

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