2011年7月12日火曜日

鰻とご飯のバランス


先週末は、東京も梅雨明け宣言。その前日の金曜日の陽の高いとき、鰻を食した。上の写真がそれ。人形町・大和田本店の「桜」。「もー、絶対ご飯は見せません!」という感じで、立派な蒲焼きが3枚どーんとのっかってる。旨かった。

このときは連れがいた。彼は暖簾をくぐったそばから、「桜2つ、肝吸いつけてね」と、私のためにも蒲焼き3枚のせの「桜」を注文してくれた。そして鰻重が出てくるまでの間、彼は「シーズン中、2回これを食えば満足だ」と言って微笑んだ。

これまでも私は、ここの鰻は旨いなと思うと、今回のような3枚のせや、下から、ご飯・鰻・ご飯・鰻(鰻は計4枚)という2階建ての鰻重を何度か頼んだことがあったが、食べ終わってからいつも後悔した。

アツアツの鰻重を、悠長に箸でつつきながら酒のアテにするのも野暮なので、目の前に出されると思わずかっ食らいたくなる。それはご飯なしの蒲焼きでも白焼きでもそうだ。鰻の旨みと炭火で焼かれた香ばしさのハーモニーは重要だし、話に夢中になったりして時間が経つと、鰻の身自体がくったりしてしまって興ざめだ。

今回もどーんと3枚のせの「桜」が目の前に来ると、やはり、かっ食らった。たしかにここの鰻は旨かった。鰻自体も旨く、蒸し加減もちょうどいい、タレの甘さ・塩辛さも程よい感じだ。でも、いくら鰻が旨くても、多すぎると、食後は脳天が鰻でパンパンになり、どーも落ち着いて「旨かったー」としみじみ出来ない。そして「もー、しばらく鰻はいいやー」という気分になってしまう。この「桜」を頼んでくれた連れが、「シーズン中、2回これを食えば満足だ」というのも、ある意味頷ける。ただ私にとっては「2回しか食えない」と言った方が正確かも知れない。

景気よく「桜」と頼んでくれた彼には感謝しているが、私にはちょうどよくおいしい、鰻とご飯のバランスがあり、それはこのお重にしてこの鰻だと2枚だ。

「2回しか食えない」。私は鰻を年間を通して5〜6回は食したいと思っている。そうなると、2枚のせがちょうどいい。食べ終わっても、「あ〜、旨かった。また食おう」という気分になるのだもの。

何とも贅沢な話だ。たまにとは言え、これは明らかに飽食だ。しかし、気分の問題なのだろうか、鰻を食べると元気になる気がする。元気になりたいから、ついつい勢い余って景気よく頼む。そして勢い余った分は、後悔へと繋がる。「大人食い」とは、大人げないものだ。そして私のエンゲル係数はますますイビツに上がる。

それにしても、考えてみると、年に5〜6回食したい私は、年に5〜6回も元気になりたいときがあるのだろう。連れだった彼は元気だものな。あ〜、きょうも暑い。でも私は、まだ鰻は食えない。

→次のエントリ 「好きなものを腹一杯食べること」につづく。

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