2011年4月14日木曜日

FUKUSHIMA

この震災で、いろんなことを考えた。いっそのこと震災関係のことに一切触れないで、このブログを書こうかとも思ったが、違和感を感じるので、やはり書こうと思う。

何しろ、この震災では大事なことがあまりにもたくさんあって、論点を絞って書くことが難しい。被災地のこと、地震や放射能、農業・漁業、エネルギーなど、何かの専門家ならいざ知らず、私のような一般人にとって論点があまりにも多い。それだけ、今まで注視してなかったことが、一般人にも堰を切ったように押し寄せているように感じる。

あまりにたくさんある論点の中で、原子力発電のことを考えた。一昨日の新聞では、FUKUSHIMAがレベル7になったとあった。地震と津波は天災、原発事故は人災、とよく言われるが、原子力発電のことを考えるのは、地震予知よりもはるかに分かりやすい。

今まで原子力発電が行われてきたのは、決まっておおよそ以下のようなことだったと思う。

1)安全対策は万全
2)CO2を出さないクリーンなエネルギー
3)発電のコストが安い
4)どんどん高まる電気の需要に応じるために必要

FUKUSHIMAを機に、これらを鵜呑みにする人はいなくなったが、以下、ひとつひとつみてみようと思う。

1)安全対策は万全
誰が見ても「万全」とはほど遠い。

2)CO2を出さないクリーンなエネルギー
CO2は出さなくても放射能を出す。たとえ事故がなくても原子力発電をする限り、放射性物質が生じる。それが「クリーン」になるまでには気の遠くなるほどの時間が必要と言う。

3)発電のコストが安い
この「コスト安」には、「事故は起きないもの」という前提条件があった。こうしていったん事故があると廃炉費用はもちろん被害額を含めコストは相当高くつく。またたとえ事故が起こらなくても原子力発電をする限り、放射性物質を管理(最終的には廃棄)するための相当のコストとかなりの時間がかかるらしい。万全と主張されていたFUKUSHIMAで事故は起きたのだから、従来の火力発電と比較して、もはや「コスト安」とは言えない。

4)どんどん高まる電気の需要に応じるために必要
これは産業界と一般人の間に温度差があると思う。工場がどんどん中国へ移っていく中、大量の電気を使う産業界では、簡単に「節電しましょう」とは言えないだろう。また、日本の人口は減る傾向にあることも事実だ。

一方、これだけのショックを受けた私たち一般人は、電気に対する感覚が変わった。それは半分になったコンビニの照明に慣れただけではない。

原子力発電所は米軍基地に似て、「安全」と言いつつ実はかなり「危険」なのだ。つまり福島は東京の身代わりになって危険にさらされ風評をも受けている。私を含む東京在住の人間は、福島の人たちに罵倒されても仕方ないのだ。政府や東京電力の情報収集・開示の怠慢はしばしば指摘されているが、だからといって、政府や東京電力に怒りをぶつけるだけでは事は進まない。私たち東京都民にも責任があるのだ。FUKUSHIMAのことをみんなが知りながら、先週末も東京都民は原発推進派の石原氏を次期都知事に選んだ。因果関係は十分にある。

1)安全性、2)クリーン、3)コスト安の3つに比べ、4)の高まる電気需要についてはすぐに現実的な答えが見つからない。ただ、原子力発電だけがエネルギーではないから、既存の火力発電を含め、それなりの規模を携えた太陽光・地熱などの再生可能エネルギーがアテになりさえすれば解決に向かう問題に思える。

ただ、現実的にその道のりは簡単ではない。必ず痛みもともなう難しいことだと思う。石原氏の当選は、その難しさを「避ける」ことを意味しているように感じる。だからといって例えば、「安全第一」イコール「脱原発」は、その難しさを飛び越えているようで、現実味を感じない。

ところで、震災の後、私はスイスの友人とskypeで話をした。彼の第一声はやや興奮気味に「お前、なぜ逃げない?(私は東京在住)」。少し落ち着いた後は、「日本はテクノロジーの国だと思ってたのに・・・・」。「テクノロジーに失敗は付きものだ」と答えた。ただ今は、そのテクノロジーで今後何とかいい方向に向かっていけないものだろうかとは思う。そしてskypeの会話が終わって気がついた。日本語を話さない彼もすでに、「FUKUSHIMA」とスラスラと発音する。「HIROSHIMA」、「NAGASAKI」と同じように。非常に残念なことだけど、今となってはそれを将来に活かすしか道はない。

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