2011年3月1日火曜日

藪・並木の鴨


東京・浅草にある藪蕎麦の名店だ。木造のお店もとっても雰囲気があるんだけど、老朽化のため改築されることになった。そして、昨日(2月末日)にて8ヶ月間の休業に入った。

2〜3ヶ月前、私はある知人と話をしていて、ふとこの店の話題になり、改築の予定を知った。「これは、改築前に行かないとー」と思いはしたもののしばらく行けず、やっと行けたのが4日前だった。上の写真は、そのとき撮ったもの。この店では、これを食わないといけない。「鴨(南蛮)」だ。

鴨肉は、肉厚なスライスが数枚と、真ん中にミンチが1個。「俺は今、肉を食っているぞー」・・・・という感覚に、こんなになる鴨は他にないのではなかろうか。だからって、肉臭い訳じゃない。邪魔するものがなく、「肉を食うこと」に突き進んで行けるのだ。粗くたたかれたミンチも同様だ。しかし、その出汁が出た汁は繊細で、最後まで吸い干す。

下に隠れている蕎麦は、細めの藪。最近の香り重視の蕎麦と違い、その味がしっかり藪を主張している。だから、またこの鴨に合う。

飲まぬとき、ざる行ってから、鴨に行く

私の感覚では、鴨を食うときは、最初にざるを食う。最初に蕎麦だけを味わいたいからだ。その細めの藪な蕎麦もさることながら、そのつゆがいい。ビシッと塩辛く、鰹の出汁がしっかり利いている。甘さはほとんどない。このつゆに、細めの藪がよく絡む。つゆをどっぷりつけちゃいけない蕎麦とは、こういうつゆのことだ。蕎麦だけを楽しんだ後、鴨と蕎麦のアンサンブルを楽しむのだ。鴨のときの蕎麦は名脇役になる。私は東京の下町で生まれ育ってるせいか、こういう店の雰囲気が好きだ。昔はこういうお店が当たり前にあった。概してだけど、高級な料理店では、客を大事に大事に扱うが、心が遠く「緊張しろ」と言われてるように感じるときがある。しかし、こういう店は、ひとりで席に着くと目の前にさっと何気に(スポーツ)新聞を置いてくれたり、ざると鴨の間に30秒以上の間があると、小さい声で「遅れてすみません」と言葉を添えてくれたり、注文時いちいち「すみませーん」と声をあげなくても、視線だけで気がついてくれたり、その自然と感じるサービス・雰囲気が何より嬉しいのだ。これこそがお店の風格なんだと思う。何も特別扱いしてくれなくていい。でも、これは特別扱いを望む客が増えたからという面もあるんだろうな・・・・。物事一面だけを見てはいけない、と自分に言い聞かせる。

しかし、時代は変わる。

老朽化しない建物はないし、暖簾は残っても代替わりはする。そうして時代と共に変わっていった店をいくつ見てきただろう。これも自然の成り行きだ。

4日前、同じテーブルに居合わせた初老の常連客は、「改築するって聞いたから、飛んできたよ。お願いだから、(このお店の)雰囲気は残してね。自動ドアなんかにしないでね」と両手を胸のまえで合わせて女将さんに何度も懇願していた。その声と姿が忘れられない。常連じゃない私でさえ複雑な心境だ。

冒頭にも書いたが、きょうから8ヶ月の休業に入ってます。この店の鴨は11月から3月まで。つまり11月、改築された鉄骨の店のオープンは、鴨とともに始まる。

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