2010年9月28日火曜日

ガマガエル様


一昨日の日曜日、庭の草刈りしていたカミさんが急に「わぁー」と声を張り上げた。「こんなとこにいたー」。鎌を片手に目を丸くして仁王立ち。上の写真の、草むらに鎮座されているガマガエル様を見つけたのだ。カメラのフラッシュをたいても微動だにしない。すごい存在感だ。決して広くない東京・昭島の我が家の庭でのこと。

私は、たぶん異常と思えるほど、このガマガエルを特別な存在としている。それはたぶん、緑と言えば公園の植え込みか軒先の植木鉢しかない東京の下町に生まれ育ったためだと思っている。その反動として、妙にまたは変に自然に対する畏敬の念が強いのだ。だからこの場合のように、少しのキッカケがあるだけで、ガマガエルに「様」をつけずにはいられなくなる。

最初のご対面は7〜8年前のこと。やはり庭の草刈りをしていた私が、草むらで見つけて驚いた。この庭に池はない。一番近い(決してきれいとは言えない)疎水で500メートルぐらいの距離。また、この借家に入居したとき(10年ほど前)、この庭は一面除草剤が撒かれていて、真っ平らだった。つまり、どっかからやってきたということ。それって一体どこから? 塀で囲まれたこの場所へたどり着くには、車も走るアスファルトの道路を通ってこなければならない。

時は流れ、その初対面から2〜3年後、ミョウガの草むらで干からびたガマガエル様を見つけた。とってもガッカリしたが、仕方ない。「そう居心地のいい場所じゃないよな、ここは。水場もないし。なんでこんなところに来なきゃいけななかったのかなぁ・・・・」なんて思いながらそのご遺体を裏庭の山椒の木の下に埋めた。

そして更にその2〜3年後。つまり今から2〜3年前の天気のいい冬の日のこと。木の苗を植えようと、鍬で乾ききった土を掘ってたら、直径10cmぐらいの土がいきなりモコモコっと盛り上がった。このときは本当にビックリした。まるでオカルト映画の特殊映像のようだった。一生忘れない。盛り上がった土は、土まみれになったガマガエル様だった。冬眠中に起こされて、ガマガエル様も驚いただろうが、私だって驚いた。粘性のある全身の皮膚は冬の乾いた土にまみれ、とんかつ状態。それが鍬を入れた瞬間、地中から這い上がってきたのだ。起こしちゃったことは仕方ない。また穴に入ってもらって、土をかぶせた。

このとき私は「おー、こんなところで生きてたかー」と、土まみれのガマガエル様を、干からびた遺体の生まれ変わりのように感じていた。

その後は、年に1〜2度お目にかかる機会があり、その度ごとにとても有り難い気持ちになった。夜中にごそごそと動き回るのを見つけたときは、5歳の娘といっしょに、懐中電灯で照らしていつまでも眺めていた。

そして更に時は流れ、今年の6月の朝、家を出て保育園へ向かった娘が、すぐに走って帰ってきた。「カエルさんが、カエルさんが・・・・」。あとの言葉が出ない。すぐ近くのアスファルトの上で、ガマガエル様が車に踏まれていたのを見つけたのだった。私も早速見に行った。「あ〜、ついに・・・・。でもやはり仕方ないよな」と思いながら、山椒の木の下に埋めた。

そして昨日。ご覧のとおり、鎮座されているんですねぇ〜。でぇーんと、微動だにせず。もう嬉しいの一言だ。ご遺体を含め、どれがどのガマガエル様かは分からない。だけど、私にはどうも一連のガマガエル様が一匹のガマガエル様に思えてならない。

昔どっかの田舎の田んぼ脇の道で、夜中にガマガエルが集団で大移動しているところを見たことがある。あれが我が家の辺りでもあったのか。そう考えるとワクワクするが、ただ近所の誰かが飼ってたのが逃げ出しただけなのかも知れない。そんなことはもうどうでもいい。ただただ私は、この威風堂々としたお姿にお目にかかれるだけで、心を打たれるのだ。その度になぜか手を合わせたくなる。

さて、この写真を撮ってから数分後、再び同じ草むらをのぞき見ると、もういない。辺りを見てもみつからない。この神出鬼没さがまたたまらない。「またどこかお好きな場所へ移っだけだ」と深く探してはいけない気持ちになる。そのぐらい、私にはおそれ多い存在で、我が家の守り神のように思っている。

2010年9月21日火曜日

どぜう鍋


まだまだ猛暑の最中、1ヶ月ほど前の8月末、浅草へ行った。上の写真は、そのとき浅草寺の境内から撮った東京スカイツリー。あんまりデカイんでビックリした。デカイって言ったって、近くまで行った訳じゃない。浅草寺からだから、隅田川を越えてしばらく行った先。結構ある。結構あるにもかかわらず、正面中央に建ってるビルのすぐ向こう側に建ってるように見えた。いや〜、何しろデカイ。こんなデカイのが本当に必要なのかと疑りたくなるぐらいデカイです。

さて、観音様をお参りした後、知人との昼食に向かった。「駒形どぜう」。ふたりで「マル(鍋)」を2皿頼んで、ささがきゴボウも2皿、おしんこにつくね団子。実はこの注文から始まってるが、このお相手の方には、確固たるどぜう鍋の作法または流儀があった。

最初にネギをたっぷり、マル(骨つき)のどぜうが並んだ浅ーい鍋に無理矢理のせて、山盛りになったネギを箸の腹でギューギュー。ネギに火が通ったところでネギを食い、ネギがなくなったらまたネギをのせる。その間、割り下の追加は怠らない。こうしてひたすらネギを食い続けた後、「仕方ない」ぐらいの感じで遂にはどぜうを食べる。鍋にどぜうがなくなったところで、今度はささがきゴボウを山盛りのせる。そこへ2皿目のマルを仲居さんにのせてもらう。ゴボウがしんなりしてきて、鍋が平らになったら再びネギを投入。ネギに火が通ったらネギ、どぜう、ごぼうと食べる。

あらたまっての説明は要らないかも知れないが、どぜうの鉄鍋は浅い。深さ1センチぐらいのものか。そして小さい。直径15センチぐらいのものか。だから、ネギを山盛りにするには無理がある。その無理を、ネギをのせる丁寧さ几帳面さで乗り越える。このへんが何となく東京っぽい。そしてそれがこの作法・流儀の要点だ。大変勉強になりました。

このときのお相手の方から次の日、下記のようなメールをもらった。

>>「どぜう」または「どじゃう」は「ねぎ」と「ごぼう」を食うもんで、泥鰌は出汁取りの添え物にすぎない。特に夏はそれが顕著な食いもんだ。

その通りでございます。
夏に旨い鍋、ここにあり。
どぜうは夏、汗かきながら食べるのがうまい。
東京には「駒形」の他にも何軒かどぜう屋がある。どこも江戸の雰囲気を感じられてとても楽しい。「どぜうなんて、泥臭そうでイヤだ」という方、そんなことありません。ネギやゴボウをたんまり入れるのは、泥臭いからじゃなく、それが合うからなのです。・・・・口の奥に唾液がたまってくる。

どぜう鍋から1ヶ月過ぎた昨日。東京スカイツリーのすぐ下を通った。下の写真は、200メートルぐらいからのもの。浅草寺からの方が大きく見えたのはなぜだろう? 昨日は大粒のにわか雨がときどき降る不安定な天気。秋が足早にやってきそうだ。

2010年9月8日水曜日

在来種の蕎麦


カノウユミコさんのお米に関する記事が載ってるというので、「自遊人」の9月号を先日手に取った。「個性的な複数のお米を混ぜて、ブレンド米を楽しもう」という内容で、「なーるほど」なんて思っていたら、その号のメインの特集記事に目が留まった。タイトルは、

「絶滅寸前。在来種の蕎麦」

野菜が品種改良されているように蕎麦も改良されているという。日本の蕎麦は、昭和20年ぐらいを境に、「在来種」から「改良品種」へと変わっていったらしい。そうした改良の理由は、(味ではなく)栽培のしやすさや収穫量のため。それ以前は、日本各地に、その土地ごとに育てられてきた「在来種」があったという。伝統食文化研究家・片山虎之助氏の記事である。

蕎麦なんてものは、中央アジアの方から伝来したものだろう、と漠然と思っていた私は、そもそも日本の蕎麦にそんな数十も種類がある(またはあった)とは思っていなかった。でも、現存の「在来種」と呼ばれる蕎麦の品種が、この特集で紹介されているだけで、18種類もある。

(改良品種に比べ)栽培しにくく、収穫量も少ない「在来種」を丁寧に育て、そしてその実をきちんと製粉し、達人が打った蕎麦は「驚愕の味」とこの特集では謳っている。興味を持たれた方は、「自遊人」9月号を読んでくださーい。まだ書店にあるかな〜。

http://www.jiyujin.co.jp/magazine/jiyujin1009.php

いろいろな理屈はある。そしてそうした理屈を知っておくことは、後々融通も利くから大事だと思う。でも、何しろ食べてみなきゃ。「在来種」とやらを。・・・・ということで、この特集で紹介している「在来種」の蕎麦が食べられるお店のひとつに、早速行ってみた。場所は青梅市(東京都)、「榎戸」というお店だ。

まず最初に断りごとから。この特集で、「榎戸」は、「奈川在来」という在来種の蕎麦を使っているということで紹介されている。でも、「榎戸」の品書きを見ると、「そのときそのときのいい蕎麦を選んで使っている」というような意味のことが書いてある。だから、この日、私が食した蕎麦は本当に在来種の蕎麦かどうかは確認していない。その点、悪しからず。確実なのは、注文のときにでも、「この蕎麦は奈川在来なのですか?」などと質問することだろうが、初めて入った店で、その質問は甚だ図々しい気がした。

さて、蕎麦は二八と十割があったので、各1枚ずつ注文。まずは二八(下の写真)。カメラが古い携帯なので写りが悪い。ゴメンナサイ。


ん〜、旨い。やや太めで、しっかり目のコシ。鼻の奥で感じる香りと、舌の上に広がる甘み・旨みが「えっ」と意外なくらいに感じる。それは柔らかいながらも迫力がある。例えば芋焼酎のお湯割りで感じるような甘み・旨みにも似ている。が、何と言うか迫力が違う。特にその後味。何か「強いもの」を感じる。それがたまらない。この特集で片山氏が「驚愕」と称しているのはおそらくこのへんだ。

昔、蕎麦屋さんに貼ってあったポスターで「蕎麦は野菜です」というのがあった。例えば蕎麦は、いわゆる「五穀」には入らない。植物学的だったか、蕎麦は穀物でなく野菜の仲間らしいのだが、それを改めて思い起こす。例えば、米も甘く旨いが、その甘さ・旨みとは違う。

蕎麦のことばかりで、つゆのことを書いてない。この蕎麦自体の「強さ」がそのまま全体の強い個性となっていて、つゆに意識があまりいかなかった。だから、つゆをつけずに蕎麦をそのまま口に入れたときにドーンと広がった甘さの印象の方がつゆの印象よりずっと大きい。

次、十割が来る。二八の最後のひと箸を集めているところだった。このジャストのタイミングが結構嬉しい。箸を運ぶのに、リズム感・ノリが出てくる。


相変わらず写りの悪い写真だが、今度は明らかに二八を上回る甘みと旨み。それがちょうど2割増しぐらいに感じなくもない十割の一口目。そして、箸が進むほどに、その味が舌に根付いていくようだった。

店を後にした帰りの車の中で水もずいぶん飲んだし、その後コーヒーも飲んだ。が、食後2〜3時間経っても、その蕎麦の味の余韻が舌の上で残っているように感じる。つまりは、2〜3時間経ってもその蕎麦がまだ口の中にあるみたいで、不思議な感覚だった。西洋音楽の通奏低音、またはインド古典音楽のタンプーラの響きのように、コンサートが終わって2〜3時間経っても、リアルに自分の感覚に残っている。

8月というのは蕎麦が一番古い時期なハズだ。新蕎麦になったら、どうなっちゃうんだろう・・・・なんて思いもした。

「在来種の蕎麦」。一軒の蕎麦屋さんに行っただけだけど、何かが決定的に違う気がする。今までも、「旨い」と思った蕎麦はある。それは「在来種の蕎麦」だったのか、そうでなかったのか? それは「改良品種の蕎麦」とどのぐらい違うのか、または違わないのか? 時間と空間を超えての比較は難しい。そして当然のことながら、蕎麦(切り)の違いは品種だけではなく、製粉方法や打ち方、その他のディテールでも違うだろう。

私は蕎麦が好物だが、研究家ではないから、努力していろいろな蕎麦を食べてる訳じゃあない。でも、こうして機会あるたびに記憶に残る蕎麦がある。それは人との出会いのよう。この「榎戸」の蕎麦は、私の忘れられない人になった。