2010年3月26日金曜日

ダンボールはリサイクル?


よく見かけるロゴマークと言葉だ。
これを見るといつも気になることがある。

ダンボールは「ダンボールゴミの日」に出して、工場で一度溶かすなどして「ダンボールを再生させましょう」ということだろう。しかし、私からすると、ダンボールはたとえリサイクルされるとは言え、ゴミに出す前に、まずはそのまま再利用だと思う。

25年ほど昔になるが、インドで列車に乗っていたときのこと。駅に着くと必ずヴェンダー(物売り)さんたちがいて、軽食(サモサなど)やスナック類(ビスケットなど)、ピーナツ、フルーツなどを賑やかに売っていて、車窓越しに買ったりする。例えば、サモサやピーナツは古新聞にくるんでくれることが多いが、モノによっては、手提げのポリ袋(とても薄手な素材)に入れてくれることもあった。

列車は停車していた駅を発ち、ゆっくりと走り出す。すると、車窓から捨てられた、その食べかす(例えばバナナの皮など)、包装に使われた古新聞、そしてポリ袋などが線路ぎわに散乱した地域にさしかかる。見ていていい景色ではないし、決していいマナーとも言えないが、バナナの皮を食べに牛が来ている。そしてポリ袋を拾いに子供たちが来ている。

インドの長距離列車はヨーロッパ式のいわゆるコンパートメント・タイプだ。私は同じコンパートメントに乗り合わせた男性に、「あの子供たちは、ポリ袋を拾ってどうするの?」ときいた。すると「子供たちはポリ袋を拾って、洗って乾かした後、業者に買い取ってもらって、稼いでいる」とのお答え。そんな質問をした自分が少し恥ずかしく感じたことを憶えている。それはその子供たちの大事な小遣いになったり、家族のために使われたりしている。

リサイクルするためには、当然コストがかかる。資源を出来るだけリサイクル品でまかなうのは、無論いいことだが、それ以前にそのまま使えるのなら、それに越した再利用法はない。そして使い切った後にリサイクルゴミに出す。古新聞を食べ物の包装に使うのはインクが気になりイヤな人もいよう。私の子供時代、惣菜屋さんがくるむのは、新聞紙ではなく、どこも決まって黄緑色した薄手の紙だった。一度使われたポリ袋を、水洗いされてるとはいえ、また使われることに抵抗がある人もいよう。でも、それがきれいに洗われ乾燥した状態で、食品が直接触れることがなければいいんではないか。

エコバッグはあるが、毎度新品のポリ袋がしばしば使われる理由は、それがきっと一番「安い」からだ。洗うより作った方がきっと安いのだ。そしてゴミは分別とか、リサイクルとか決まりがある。

一方、25年前のインドで、ポリ袋を拾う子供たちに、今の日本のような「リサイクル」の考えはなかったろう。カネになるから拾う。それは微々たるカネだろう。でも、全く稼がないよりいい。そしてその子供たちはたくましく、業者からもアテにされた存在だ。だから、そのまま使う再利用が成り立つ。

話をダンボールに戻します。

ダンボールぐらい、そのまま使えるだけ使えばいい。カッターで切り込みを入れてサイズの調整も出来る。そんなことをしている人はたくさんいよう。そして、いくら畳んでも、ダンボールはガサばるから捨てることもあろう。

でも、判で押したような、
「ダンボールはリサイクル」

を見るたびに、素直に「そうだね、リサイクルだね」とは思えず、「その前にすることがあるだろー」と思ってしまう私は、

「ダンボールは、さんざんそのまま使った後に、リサイクル」

と心でつぶやく。

2010年3月16日火曜日

ツイン・ツイン

「重なるときは、重なるものだ」

と、前のブログで書いた。
そう思っていたら、まーた重なったので、書きます。でも、最初に断っておきますが、きょうのはかなりくだらない。お忙しい方は『時間の無駄』になるので、読まない方がいいでしょう。

ジャーン!


つい昨日のことです。私にとって、生まれて初めてです。双子の卵。昔、仕事で何年間か毎日のようにゆで卵を作っていた経験もある私ですが、それでも昨日が初めてでしたー。「話には聞いていたが・・・・」というやつです。朝、子供の卵サンドを作るときでしたー。・・・・「だから、どーした?」とお思いになる方。ごもっともです。ただ、その類のコメントはお控えください。

とまぁ、双子の卵に驚いていた昨日の今度は夕食後、苺でーす。同日でしたー。まーたツイン。


でもまぁ、卵に比べて、苺の双子はそんなに珍しくないですね。自分でもこれは初めてじゃない気がしてます。ただ覚えてないだけで。でもまぁ、卵の双子を見たすぐ後だったので、ついつい書いてまーす。

前のブログでの「重なり」は、あまり喜ばしいことではなかったが、今回のはもしかしたらラッキーの前兆かも知れない、と想像たくましくしてます。日本では聞いたことないけど、どっかの国のどっか特定の地域では、ラッキーの前兆・・・・なーんてことがあるのだろうか? または不吉な前兆かも知れないけど・・・・。

ただまぁ、「重なるときは、重なるものだ」。
ということで・・・・。

2010年3月10日水曜日

牡丹雪の夜


3月だというのに、昨日、東京は雪が降った。重く湿気ったいわゆる「牡丹雪」だった。やや陽も長く感じるようになったこの頃だが、とっぷりと日が暮れた後、2人の子供と共に3人で、牡丹雪が降りしきる中、停まった車の中で1時間ほど過ごさなければならない事態におちいってしまった。

運の悪いことは、ときに重なるものだ。

夕方6時半過ぎ、仕事帰りに私は保育園のお迎えに行った。昨日は、2人が通う保育園の園内の様子の写真の展示があり、それを見ていたため、保育園での滞在時間が30分ほどになった。この展示は年に4回だけのもの。さて、保育時間は7時までなので、出るときは追い出されるように出た。・・・・・たったこれだけの些細なことだが、これがその後の決して些細とは言えない展開の序章だった。

お迎えには車を使っているが、駐車は近くの公園の公営駐車場。30分までは無料だが、過ぎると100円かかる。もちろん無人で、機械がすべて処理してくれる。この日は、写真を見たせいで30分を超えた。「きょうは100円かかるな」と思って、車に乗り財布を見ると、「小銭がない」。札も5千円と1万円のみ。千円札もない。駐車場出口の自動精算機では、硬貨もしくは千円札でしか払えないのだ。・・・・・このへんでこのドラマの展開が始まった。

しばし考えて、子供2人を車に残して、牡丹雪の中、保育園へ走った。2歳と5歳の子供をエンジンをかけ放しの車に残したままで大丈夫かなと、一抹の不安を抱えながらも、保育園に誰もいなくなる時間だ。一刻を争うため、ひとりで走った。インターホンを何度も押すが、何の反応もない。車へ戻りがてら、ソフトドリンクの自動販売機を2つチェックしたが、やはり5千円・1万円札は使えない。

近くにお店はないのか。歩いて10分ほどのところにコンビニとガソリンスタンドがある。ここはそんなに田舎ではないが、大きな公園の近くなため、夜営業の店舗が遠いのだ。片道10分、往復20分、牡丹雪の中、小さな子供2人を連れて歩くのはしんどい。

とりあえず、車を駐車場内のトイレの前に停め、トイレ・タイム。下の子は、今、トイレ・トレーニング中だ。「きょうはかあちゃん、あと20分ぐらいしたら、帰り道にこのへんを通るから、電話をくれるよう携帯にメール入れておこう」そう言って、車の車内灯を全部つけた。外の闇が増した。真っ暗な中しんしんと降る牡丹雪。誰もいない公園内の駐車場。何とも言えぬ静寂感に包まれた。その中で薄明るい車内灯の下、図らずも子供たちとのお話しの時間になった。ふと、山深い小さな家の囲炉裏ばたで話をしている気持ちになった。

上の5歳の娘が、「ねえぇー、恐竜って最初は恐竜だったの?」ときいてきた。「恐竜は卵から生まれるけど、恐竜が卵を産むでしょ。じゃあ、最初の恐竜は何だったの?」と続ける。「卵が先か、鶏が先か?」の話だ。「何だったんだろうなぁ〜」と返すと、「きっと恐竜の前は、王子様だったんじゃないの・・・・、不思議だね〜」。こういう訳の分からぬ子供の理屈はいいなぁと、やや心がほぐれたところで時計を見ると、もうカミさんから電話が来てもいい時間をずいぶん過ぎている。「おかしいねぇ〜」。子供たちはアクビを始めた。「横になって寝てもいいよ。車の中は暖かくてよかったね」と話していると、眠気を裂くように携帯が鳴った。

彼女は帰宅して誰もいないのに驚いて電話したらしい。この日は、たまたま受け取りたくない電話がかかってきたとかで、携帯をOFFにしていたらしい。だから、送ったメールも見ていない。それから15分ほどすると、100円玉を数個持って、傘を差したカミさんがやってきてくれた。駐車時間は1時間を超えていたが、表示された料金は「100円」だった。100円玉を入れると、ゲートは何事もなかったかのように、いつものように開いた。

重なるときは重なるものだ。

ポジティブにとれば、あの囲炉裏ばたのお話し時間は悪いものではなかった。が、これからは、車に100円玉を3つぐらいは常備しておくことに決めた。