2010年2月15日月曜日

静かな焚き火


私が子供の頃は、近所のあちこちで焚き火をしていた。東京の下町での、もう40年ぐらい前の話だが。それはもちろん大人がやっていた。私は焚き火を見つけると大人に混じってその火にあたった。暖をとる目的もあったが、大人と同じ火にあたりながら、同じ火を見つめて話しなんかしていると、自分がちょっと大人になったような気分になった。それがやけに嬉しかった。でも、手伝うつもりで火をいじると「余計なことするな」と怒られたりもした。今思うと、とてもいい思い出だ。

東京の下町というのは、言葉を換えれば都会。建坪率100%の家々が立ち並ぶ町の一角で焚き火なんて、今じゃ通報とかされるんだろうか。まぁ夏場に庭でバーベキューなんてのも一種の焚き火と考えれば大丈夫なのかな。場所は限られるだろうけど・・・・。

それにしても、焚き火って楽しいと思いませんか? 風や薪の燃え具合で、つまり温度によって炎の色や形大きさが変わる。炎は常に動き、決して元の形にはならず、しかも規則正しい。世界最古の宗教は拝火教、と聞いたことがあるが、それも頷ける。火は自然で間違えないのだ。私は大人になってしまったが、今では炎を見つめているだけで不思議と心が落ち着く。そして何とも言えぬ静寂感に包まれる。・・・・と言っても、決して放火魔ではないので、誤解しないでくださいね。

だから、住まいを決めるとき、私にとって「焚き火が出来るか否か」というのはとても重要だ。写真の焚き火は今の家の庭。おき火もたまり、この後芋を焼いた。ここは借家なので、いつまでここにいられるか分からないが、将来も「焚き火の出来る家」に住みたい。昔、古いアパートに住んでいたときも、焚き火の出来るアパートだった。この借家もそうだが、昔の家は狭かったが、建物の周りには「余計な」土地があったのだ。そこで焚き火が出来た。マンションの類を含め、今の建物には「余計な土地」がない。だから町からどんどん焚き火がなくなっていく。「垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ、焚き火だ落ち葉焚き・・・・」は、今の東京では夢のような世界に映る。

寒空の下でも室内にはない暖かさがあり、見ていて心が落ち着く。さらに芋類を焼いたりも出来る。意外とおいしい里芋。塩で頂く。またみかんやマシュマロは子供たちの大好物だ。バーベキューという程ではない、この素朴さ静かさがたまらない。

東京はもう梅が咲き始めた。でもまだまだ寒いから、ついついこもりがち。そんなときでも、ちょっと庭先に出て焚き火。今では、子供たちが火をいじると、「余計なことするな」とか言ったりしている。

2 件のコメント:

サムライ菊の助 さんのコメント...

焚き火いいですなあ^^うちは薪ストーブを入れているので、毎日、部屋の中で焚き火をしております。が、やはり、外での焚き火が楽しいです。気の合った仲間と一緒に、鼻水をすすりながら焚き火にあたると、心も体もあったまって、それだけで、生きている喜びを実感することができます。お子さんとの焚き火、楽しいでしょうなあ^^
お分けいただいたカンホアの塩を使って、もうすぐ味噌の仕込みに入ります^^
では!~~ε=ε=ε=ε=┏( 菊・_・)┛

下条剛史 さんのコメント...

> サムライ菊の助 さん

薪ストーブ、いいですね。今じゃ一番贅沢な暖房です。薪の炎の温もりはやっぱり違います。

私にとって、焚き火は趣味と思ってますが、「ご趣味は?」と聞かれて、「焚き火です」と答える人はいないでしょうね(笑)。放火魔ととられそうだからかな。

味噌の仕込み、気合いが入りますね。もう毎年やられていると、そうでもないですか? 首尾よくいくこと祈ってます。