2010年1月19日火曜日

子なしシシャモ


上の写真は、「子なしシシャモ」。オスのシシャモだ。身もプックリ。白身の魚としてとてもおいしかったです。

ところで私の子供の頃、シシャモと言えば、「子持ち」が上等だった。でも、最近はこの「子なしシシャモ」が上等とされる。「子なし」の方が、子(卵)に養分をとられてないから、身がおいしい、というのがその理由。そのとおりだ。鮭などは昔からそう言われる。確かに「子持ち」は子を食べる感が強く、身はこっちの方がおいしい。

私はこのシシャモを食べると思い出すことがある。

その昔、今から40年近く前の年末のこと。私は小学校の4年生ぐらいで、東京の下町に住んでいた。「今年はアメ横にでも正月の買い出しに行くか〜」という父親の号令の下、年末家族で東京・上野のアメ横に買い物に行った。アメ横にはときどき出掛けてたが、年末の買い出しとしては初めてだった。両親は飲食店を営んでいたので、父親は築地にもしばしば足を運んでいたが、そのときは何となく「たまにはアメ横」な気分になったようだ。テレビの影響ぐらいの思いつきだったと思う。

年末のアメ横は、すごい人混み。今よりすごかったかも知れない。人混みに疲れながら、母親は「アメ横ったって、特別いいものとか安いものがある訳じゃないねぇ〜」とグチをこぼし始めるし、実際に大した収穫もなかった。

そして疲れ果てた私たちが、「じゃぁ、もう帰るか」というモードになってきたときだった。ある店の前の路上で、シシャモが30〜40尾ぐらい入った木箱を片手に持った魚屋のお兄さんが、例のシャガレた声で、私たちに声を掛けてきた。当時、シシャモは「子持ち」が上等品で、希少だった。

「お客さん、安いよー、安いよー。子持ちがこれで、○○円! 最後だから、もー特別。なくなったらオシマイよ!」

こんな内容だったと思う。両親は、「これで○○円は、安いなぁ〜」と、帰り際の収穫に喜び、買った。小学生の私も、普段そんなにありつけない「子持ち」をたくさん食べられる喜びを感じていた。

そして、帰宅後。

「え〜!」
と台所から母親の雄叫び。

木箱に入った30〜40尾のシシャモは4段ぐらいに重なっていた。そして一番上の表面に並んだシシャモだけが「子持ち」で、その下の3段は全て「子なし」だったのだ。

「やられた〜」と父親。「子なしで○○円は高いな〜」。

仕方なく数少ない「子持ち」を大事に食べたことは覚えている。ただガッカリした分、「子持ち」の嬉しさは半減した。しかし、何もこれで店にクレームすることではない。泣き寝入りというより、「だまされちゃったね〜」という感覚。または、一種の授業料って感じかな。年末のアメ横なんかには滅多に行かないし。または「こいつは一見の客」と見てだました店員さんは見事なものだった。

それで思い出したが、当時、東京・浅草には、「見せ物小屋」なるものがあった。「ろくろっ首」は覚えている。入口付近では、それはそれは見事な口上の語り口。そして壁面には見たことないような「ろくろっ首」の絵が大きく描かれている。興奮して中に入った私は子供ながらに愕然とする。えらいチャチな仕掛けに「そりゃイカサマだろ!」と思ったけど、それで「だましたなー」と文句は言わない。出口でも聞こえる見事な口上を改めて聞きながら、ワクワクして入っていく人たちの顔をチラッと見て、その場を後にする。営業妨害はいけない。

「え〜、ろくろっ首ぃ〜、見たいな〜」という好奇心が刺激され、親にねだって入場料を出してもらい、その入口を入って行く。その瞬間の最高の気分の高まりのために入場料を払うんだと思う。親もよく付き合ってくれたものだ。今さらながらに感謝している。

アメ横のシシャモも同じだ。「え〜、それで子持ちが○○円!」と思わされ、「得したな〜」と喜びを感じることに代金を払ったのだ。同じ「見せ物小屋」に2度入るヤツは絶対いないし、同じ魚屋でシシャモを買うヤツもいない。一見とはそういうものだ。当時は今ほどモノが豊かじゃなかったけど、こんな風に感じられる余裕はあったなぁ〜と、今にしてだけど、しみじみ思う。

今でも、シシャモを目の前にすると40年前の出来事を思い出す。それも今は、「子なし」が上等なんだから・・・・。カミさんから「きょうは上等な子なしシシャモだよ」と言われると、苦笑いしながら、おいしく頂く。どっちもどっちなりにおいしいんだけど。

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