2009年6月11日木曜日

ブラッディーマリーのソルティードッグ

ヘンテコで長いタイトルだ。「ブラッディーマリーなのかソルティードッグなのかハッキリせい!」と怒られそう。

「カンホアの塩」のサイトで、「カノウユミコ・塩料理レシピ」というのをやっている。季節ごとぐらいに新しいレシピをアップしているが、昨日、この夏に向けて3品アップした。その中に、「スイカのソルティードッグ」というのがある。こーれが、なーかなかイイ。

ちょっとしたことだけど、ウォッカベースで、グレープフルーツジュースの替わりにスイカのジュースで割る。そしてスノースタイル・・・塩をグラスの縁(フチ)に飾る。もちろん塩は単なる飾りではなく、舌でチョイチョイなめながら飲む。だから塩の個性もしっかり感じ取れる。グレープフルーツは独特の苦味があるでしょ。それが瓜っぽいスイカのクセに替わって、甘さがやや増した感じです。元々、スイカと塩は幼馴染みな組み合わせなので、普通に記憶にある味だ。それにウォッカで大人な夏のカクテルになっている。こんなちょっとしたことと言えばちょっとしたことだけど、よく思いつくな〜、と感心しきりです、カノウユミコさん。

「カノウユミコ・塩料理レシピ」はコチラ

さて、この「スイカのソルティードッグ」。これはこれで完成された形です。ただ、ヴィジュアル的には、「ソルティードッグ」と言うより、どー見ても「ブラッディーマリー」でしょ。「ブラッディーマリー」がスノースタイルでサーブされてる風に見える。ちなみに、「カノウユミコ・塩料理レシピ」の写真は、自前(私がカメラ担当)なので、試食(試飲)もしてます。で、それならいっそのこと、「ブラッディーマリーをスノースタイルにしてみたらどんなだろう?」と思い立つのは、私としては当然の成り行きで、先日実際にやってみた。それが上の写真です。

もー、イケる、と思うよー。「トマトジュースと塩」だって「スイカと塩」と同じぐらい「普通に記憶にある味」だ。ウォッカの替わりにジンでもいいだろう。もちろん、これには「無塩」のトマトジュースが必要だ。私は、それを手っ取り早く求めるため、一番近所の赤と緑と橙色のコンビニへ走った。

ところが、意外や意外、トマトジュースという、かつてかなりメジャーだったはずの定番商品が、お店の冷蔵庫の一番上の一番ハジッコに追いやられていて、「無塩」のなんかは問題外。「そ、そんなハズはー」と、店内の「無塩」をくまなくチェックしてみると、トマトとにんじんとパブリカ(赤ピーマン)の混合ジュースがあった。「黄金比」と銘打たれたその商品を手にした私はしばしの間考え、買うことに決めた。一種の妥協だった。「オレは『ブラッディーマリー』を作りたいんだよ、無塩のトマトジュースで」との思惑が少し邪魔したが、乗り越えた。妥協から、新境地を開拓する気持ちにスイッチし、帰路についた。

で、ですね。まぁ、その「黄金比」による「ブラッディーマリーのソルティードッグ」。「黄金比」だから、上の写真をよーく見ると、色がトマトジュースよりやや黄みがかっているの、分かります? それで飲んでみて思ったのは、この世界もアリだろうけど、やっぱりトマトジュースだけで飲んでみたくなったというのが正直なところ。またはこの場合、スノースタイルにしない方がいい。トマトと塩はいいんだけど、にんじんと塩の組み合わせがややカクテルの趣から外れてしまう感がある。カクテルってやつは、いろいろ混ざってるからカクテルなんだろう。その混ざり具合の意外な組み合わせは、カクテルの「自由さ」を感じさせてくれる。だからって、何でもいいわけはない。例えばブラッディーマリーのように、世界的に長らく定番張ってるやつは、それなりに支持される理由があるのだ、と改めて思った。やっぱりブラッディーマリーはトマトジュースだけで。今度はちゃんとやってみよう。

ところで、ちょうどそんなことに思いを巡らせていたとき、村上春樹氏のエッセイを読んでたら、「飛行機の中で飲むのは、ブラッディーマリーがいい」という下りがあった。ん〜、そう言われると、とても不健康な空気に満ちている密室の機内は、トマトジュースの健康的な感じがいいように思える。今度飛行機に乗ったら、「ブラッディーマリーを、スノースタイルで」と頼んでみようかな。

2009年6月5日金曜日

ベトナムの普通の市場

左が果物屋で、右が魚屋
左が買い物が終わった客で、オートバイのハンドルに鴨などを引っかけてる。そしてその右2つが八百屋さん。
写真はどれも「カンホアの塩」の専用塩田の近くにある市場で撮ったもの。ベトナムのどこにでもある普通の市場である。では、「普通ではない」市場はと言うと、大きな町にある大きな市場、例えばサイゴンではベンタイン市場など。確かに大きな市場は品揃えが豊富だし、高級品や季節外れの果物などすぐに見つかる。でも、私はあえて、このドップリとローカルな市場のことを伝えたい。

前のブログ(6月3日「ベトナムの普通のご飯」)で、こう書いた。

『日本よりベトナムの方が断然暑いし、冷蔵庫・冷凍庫も普及していない。しかし皮肉にも、より涼しく冷蔵庫・冷凍庫が普及している日本の方が食材の鮮度が劣るのだ。この大いなる矛盾をどう見よう。それはベトナムの市場に行くと分かる』

その「市場」とは有名なベンタイン市場ではなく、上の写真のような、ベトナムの地方にはどこにでもある普通の市場のことだ。ご覧のとおり、この市場には冷蔵庫なんてありゃーしない。しかし、肉屋もあれば魚屋もある。そしてこの市場周辺で、つまりこの市場の客の家で、冷蔵庫のあるところは半分ないだろう。たとえあったにしても、ときどき停電があるので、日本のように信用のある存在ではない。そしてこのあたりは一年中暑い。一番寒く(?)ても20℃ぐらいで、最高は40℃以上にもなる。つまり一年中日本の夏のようなもの。だから、生鮮品が悪くなるのも早い。

しかしだ。

「だから、生鮮品が悪くなるのも早い」は全くもって「冷蔵庫があって当たり前」が染みこんだ私のような人間の言葉で、ここで暮らしている人たちは、それで不自由はしていない。朝は市場のお店にたくさんの生鮮品が並ぶが、昼近くになると肉屋・魚屋の並んだあたりはすっかり静まりかえって誰もいなくなる。八百屋も残り物を売ってるところがちらほらぐらいだ。つまり、基本的に生鮮品は「その日のうちに売り切る」のだ。買う方も「その日に使う」食材を買う。ベトナムは暑い。暑いからこそ、この循環が続く。それがここでは当たり前なのだ。したがって、私がこの辺りに滞在している間は、いつも新鮮な食材を食べさせてもらうことになる。上の写真の店はどれもオママゴトのように小さく見えるかも知れない。確かに冷蔵庫がたくさんある大きな町の市場の店はもっと大きい。しかし、「1日分」だからこそ、この小回りの利く循環があるのだ。

上の写真に、鴨を買った女性客がいる。鴨は生きてるまんま買い、「料理する前にしめる」。毎朝、豚肉や牛肉の大きな固まりを忙しく小売用にさばいているのが肉屋さん。またここは海、漁村が近い。朝あがった魚がこの市場に運ばれ、写真の魚屋になっている。

また「暑い」ことは、生ものを腐らせるスピードとともに植物を育てるスピードをも促す。どんどん出来てくる農作物を小出しにどんどん流通させる。例えば、米の二毛作は当たり前。三毛作だってある。一年中暑いから、農作物は小刻みに育てられ、小刻みに収穫・出荷される。フォー屋(ベトナムの米粉の麺の汁そば)のテーブルに盛られるハーブ類は、その日の朝に採れたものでも夕方になるとしおれてくるが(ときどき水をかけたりして頑張らせているが)、それと冷蔵庫に1週間眠ってもまだ黄色くなってないホウレン草とどっちがおいしいんだろう。新鮮な野菜を間違えなく食べたいのなら、畑の近くか、暑くて冷蔵庫のないところへ行こう。

2009年6月3日水曜日

ベトナムの普通のご飯


きょうは、ベトナムのご飯の話。それもごくごく普通のご飯。ベトナムでも食事をすることを「ご飯を食べる(an com)」と言う。もちろん米が主食だ。

私は仕事でベトナムへ行くから、食事も仕事がらみが多く、ときには有難くもてなされもし、宴会料理など特別な料理を食べることが多い。それはそれで楽しみだが、普通の食事を普通に食べるときが一番リラックスしていて、「あ〜、おいしいなぁ〜」としみじみ思うのも事実だ。

私の仕事場である「カンホアの塩」専用塩田で食事をするとき、「仕事がらみ」以外のときは、現地天日塩生産者のところで普通のいわゆるマカナイ料理を頂く。それが上の写真。お昼ご飯だった。写真では分かりにくいので少し解説しよう。

主菜:「焼き魚 〜 鯵(のような魚)」
焼き魚と言っても網じゃなく、フライパンに油をひいて両面焼いている。味はついてないので、箸で身を取った後、その後ろにある白い椀に入っているヌクマム(魚醤)に唐辛子を入れたタレを、各自でつけて食べる。

副菜:「豚のモツとインゲンの油炒め」
あっさり塩コショウ味。

スープ:「ヘチマとフクロ茸のスープ」
これも塩味。生姜か何か他にハーブ類が入っていたかも。ベトナムでヘチマは立派な食材だ。

デザート:マンゴ
この時期ちょうど旬だった。

これで3人分。あとは見てのとおりの白いご飯。インディカ米でタイ米と同様やや香りがある(土佐高知では「香り米」と呼ばれるらしい)。左にはデザートのマンゴ、赤い字で“Phu Sen”のラベルのビンは炭酸水だ。炭酸水はビールと同様、かち割り氷の入ったジョッキに注いで飲む。そう、ビールも氷を入れて飲むのがベトナム流。最初は私も戸惑ったが、今はジョッキの氷が溶けて小さくなると「氷をください」と普通に言う。料理が大きなお盆にのってるのは、単に片付けやすいから。これは食事する者同士がとてもカジュアルな関係にあることも示す。

食べ方にルールはない。でも、その人ごとに食べ方は何となくあるものだ。例えばこの日の私の場合はこんな感じだったと思う。

炒め物を少々食べた後、自分の箸でほぐした魚の身の端をちょんちょんとヌクマムのタレにつけ、左手で持ったお茶碗のご飯の上にのせる。それをタレでやや染まった白いご飯と一緒に口に運ぶ。そしてたまにスープの具のヘチマやフクロ茸をご飯の上にのせて、ややスープが浸みたご飯と食す。こうして2杯のご飯を平らげた後、3杯目はいきなりスープを具ごとご飯の上にかける。雑炊状態のご飯をお茶漬けのようにサラサラ食べる。そのお茶碗が空になったところで、今度はスープだけを注ぎ満腹感の余韻に浸りながらゆっくりとスープを食す。その頃になると、すでにマカナイのお姉さんがマンゴをむいてくれてて、マンゴもたっぷり食べて、ごちそうさま。

よく「ベトナム料理はおいしい」と言われる。私もそう思う。かつてジャーナリストの本多勝一氏は、「ベトナム料理は世界一おいしい」と言った。日本の料理もおいしいが、ベトナムから日本に帰って来るとある違いを痛感する。それは決定的に日本で食べる料理は食材の鮮度において劣ることだ。そして日本は加工品や半加工品が多い。(この場合の加工品とは自家製の漬物や納豆などではなく、冷凍・レトルト食品などのこと) 日本よりベトナムの方が断然暑いし、冷蔵庫・冷凍庫も普及していない。しかし皮肉にも、より涼しく冷蔵庫・冷凍庫が普及している日本の方が食材の鮮度が劣るのだ。この大いなる矛盾をどう見よう。それはベトナムの市場に行くと分かる。このことはまた改めて。

・・・追記・・・
巷のベトナム料理に関しては、知人の写真家・福井隆也氏がベトナム料理研究家の伊藤忍さんと共著で本を出版している。「よくぞここまで取材したな」と思う。

「ベトナムめし楽食大図鑑」(情報センター出版局)